本質とそうでないものをどうやって見分ければいいのだろう?

というような疑問を否定や疑問こそ言語の本質ではないか - 東京永久観光とか言語の本質ってなんだろう - 「で、みちアキはどうするの?」を読んで、ふと思いついた。
で、例によってウィキペディアで調べてみた。

台湾語仮名(たいわんごかな)とは、日本統治時代の台湾で試みられた、台湾語の発音を表記するための仮名を使った振り仮名。台湾語の発音には有気音や鼻母音など、日本語の表記では区別しない発音があり、これらを仮名を使って表せるように考案されたものである。声調は仮名の傍らに特殊な記号を付けて示せるようになっている。総督府は台湾各所の発音を調べ、結果として西洋宣教師の影響を受け、いわゆる廈門音を基準にした。

あ、間違えた。
こっちだ。

本質(ほんしつ)(希 ουσια (ousia), 羅 substantia / essentia)とは、あるものがそのものであると云いうるために最低限持たなければいけない性質をいう。もしくはそうした性質からなる理念的な実体をいう場合もある。或る存在を必然的にその存在として規定する内実がその本質である。伝統的には、「それは何であるか」という問いに対する答え(「何性」)として与えられるもの。

むぅ。全然わからないよ!

おまけ

言語の本質とは、ある言語が言語であると云いうるために最低限持たなければいけない性質であるから、語義上、すべての言語に共有されているはずだ。もちろん、すべての言語に共有されている事柄ならなんでも言語の本質だということにはならないだろうが。ともあれ、言語の本質を探究するならば、さまざまな言語を注意深く観察して分析し、それらに共通するものがなんであるのかを見出す作業が必要となることだろう。
さて、この作業を首尾よく遂行するためには、言語とそうでないものとが区別できていなければならない。もし、言語を調べているつもりで、チョコレートパイをつつき回して「そうか、言語の本質とは放置すれば蟻がたかるということなのかっ!」などと見当違いのことを考えてしまっては目も当てられない。
では、世界の諸言語とチョコレートパイとを首尾よく区別するには、いったいどうしたらいいだろう? もちろん、答えは簡単だ。言語の本質を備えているかどうかに着目すればいいのだ。だが、もし三時のおやつに最適だということが言語の本質だとすれば、チョコレートパイはその性質を備えているがゆえに、言語と区別がつかなくなってしまう。いや、三時のおやつに最適なのはチョコレートパイではなくておにぎりせんべいだ。そう主張する人もいるかもしれない。だが、そのような主張は水掛け論の入口に過ぎない。
かくして言語の本質を巡る議論は錯綜することになる。
だが、挫けてはいけない。これまでの検討により、少なくともチョコレートパイとおにぎりせんべいのどちらか一方は言語ではないことが明らかとなったのだから。この調子でひるまずたゆまず考え続ければ、やがて言語の本質を獲得できるかもしれない。