直接指示説へのごくありふれた反論

「【について】」ってなんだよ、っていうと、「指し示すこと」です。ぼくは言語とは指し示すものだと考えているようです。ぼくが、人差し指を伸ばし、中指薬指小指を軽く曲げ、親指をそこに添え、腕を伸ばす。そのとき、ぼくを見るヒトはぼくの人差し指の延長線上にある何物かを見ます。しかし、おサルは、ぼくの指を見ます。おサルは言語がわかってない。そんなかんじ。

「リンゴ」という言葉は、現実世界に実際に存在する特定の果物を指し示しています。それだけでなく、各種リンゴ全般や、腐ったリンゴや、絵の中のリンゴ、空想上のリンゴなどについてもなんとなく指し示す。さらに、椎名〜や、単に赤くて丸いモノや、「ハッとするニュートン」なども、ゆるやかに指し示すのではと思います。この「指し示し度」の違いが「意味の強さ」みたいなものじゃないかなーと。「意味がある」と人がいう時には、その言葉が何かを指し示しているからこそその意味がわかるわけで、つまり「意味」と「【について】」は同じようなことかと。完全ランダムな文字列の組み合わせの言葉があったらそれは何物も指し示さないから意味がわからないですよね。

たとえば「からすとうさぎ*1という一連の語句の中で「からす」はからすを指し示し、「うさぎ」はうさぎを指し示すのだ、といちおう考えることができる。
では「と」は一体何を指し示すのか?

*1:リンク先とは関係ありません。ついふらふらとリンクを張ってしまったのです。