論理学の初歩の初歩

パラドックス実践 雄弁学園の教師たち

パラドックス実践 雄弁学園の教師たち

久しぶりにミステリでも読もうと思って買ってみた。この作者の作品はこれまで読んだことがないが、タイトルがタイトルだし、表題作は第62回日本推理作家協会賞短編部門最終候補作だということだから、きっと常識やリアリティを無視したガチガチのパズラーなのだろう、と想像していた。
……全然違っていた。
いや、「常識やリアリティを無視した」までは予想通りだったのだが、「ガチガチのパズラー」ではなかったのだ。というか、これ、ミステリと非ミステリの境界線上に位置するのではないか。ミステリの基本構造を単純化して「謎−解決」と表すなら、『パラドックス実践』の基本構造はそれとは似て非なる「課題−解決」だ。妙に理屈っぽいところはミステリに近いが、基調はロジックよりレトリックだ。
まあ、この作品集がミステリか否かなどというのはどうでもいい。また、内容紹介も版元に任せておこう。この本全体の感想は一言、「面白かった」で足りる。
ここでは、ただ一点だけに話を絞ることにしよう。
以下、この本の内容に触れるが、未読の人の興をそぐ恐れは全然ないので安心して読んでいただきたい。
この本の3話め「叔父さんが先生」に次のような一節がある。

自然科学的真実がすなわち
実 感 的真実でもあり、
なおかつ
自然科学的真実でないことで
実 感 的真実でもない、
そういうものの例を挙げよ

と行わけして記せば明らかだが、A=Bであり、なおかつA≠BであるようなAとBの例をさがし出すなど、黒い白鳥をさがし出すよりも不可能なのだ。論理学の初歩の初歩。

「自然科学的真実」とは何か?
「実 感 的真実」の「実」と「感」と「的」の間になぜスペースが入っているのか?
それらの疑問に対しては説明しない。じかに原文を参照されたい。
ここで問題にしたいのは、今引用した箇所が論理学の初歩の初歩の段階で躓いているということだ。
上の設問の一部を次のように書き直してみよう。

  1. 自然科学的真実がすなわち実 感 的真実でもある
  2. 自然科学的真実でないことで実 感 的真実でもない

この2つの文が果たして「A=B」「A≠B」に対応しているだろうか?
1のほうは、まあ対応しているといえば対応していなくもない。しかし、2は全然ダメだ。2には否定辞が2回用いられているが、「A≠B」すなわち「AとBは等しくない」には否定辞が1回しか出てこないのだから。
もうひとつおかしなところがある。元の設問では「そういうものの例を挙げよ」となっており、1項を問うているのに、後には「AとBの例をさがし出す」と、対になった2項を探すという問題に化けてしまっている。
これらは、記号化に手抜かりがあったことを示している。実は、元の設問に含まれる「自然科学的真実/実 感 的真実」を単純に「A/B」と置き換えてはいけなかったのだ。なぜなら、「自然科学的真実/実 感 的真実」はそれぞれ単独で意味論的機能を有するのではなく「……は自然科学的事実である/……は実感的事実である」という表現の一部として機能するのだから。
「……」の部分に同じものが入るということを明示するため記号「x」を用いることにしよう。「……は自然科学的事実である/……は実感的事実である」は「A(x)/B(x)」と書くことにする。「すなわち」は双条件法、「ことで」は単なる条件法として読む。もっとも「ことで」を条件法を表すものだと解釈することには異論があるかもしれない。「ことで」は前件が後件の理由であることを表しているのだから、単なる条件法を超える意味を持つはずだ、という主張は非常にもっともだ。だが、今は論理学の初歩の初歩の段階で考えているので、多少の不自然さには目をつぶろう。
かくして、元の設問はA(x)≡B(x)であり、なおかつ¬A(x)→¬B(x)であるようなxの例を求める問題だ、と言える。もちろん、そんなxはない。追記参照のこと。
でも黒い白鳥ならあるよ。

追記

A(x)≡B(x)であり、なおかつ¬A(x)→¬B(x)であるようなxは無数に存在することに気がついた。ごめん。
ただ今旅行中につき落ち着いて考えをまとめられないので、取り急ぎ本文に誤りがあったことだけ記しておきます。

追記の追記(2009/06/22)

本文では、元の設問の前半を双条件法と読んだが、これはちょっと不自然な読み方だったようだ。
ただ、コメント欄で提案されている「x∈A→x∈B」だとAはBの部分集合ということになるが、小説の中での「自然科学的真実/実 感 的真実」の説明に照らすと、この解釈も採用しにくい。
いろいろ考えて、とりあえず元の設問を、A(x)&A(x)→B(x)であり、なおかつ¬A(x)&¬A(x)→¬B(x)*1であるようなxの例を求める問題だ、と読んでみたのだが、いかがでしょう?

*1:要するに、A(x)&B(x)&¬A(x)&¬B(x)ということになる。