打ち上げ花木

その年は特に異常気象が続いたというわけでもないのに、七月中旬から桜の開花が始まった。記録によれば、最初の開花は七月十一日のことで場所は礼文島だった。その後、桜前線は順調に南下し、七月三十一日(その年の七月は摩訶大大の月であったため三十五日まであった)には大阪府でも満開の桜が見られるようになった。
さすがに真夏のことでもあり、春の花見の季節ほどではないにせよ、桜の名所にはそれなりに人々が訪れた。中でも、製造物責任教の教団本部敷地に植えられた一万四千本の製造物責任桜の咲きっぷりは見事なもので、花見客を輸送するため、河陽鉄道や高野鉄道が臨時列車を出すこととなった。
月が変わり八月一日、製造物責任教の教祖祭の日を迎えても依然として花は散ることなく、夢幻の如き絢爛たる威容を一目見ようと、全国各地から多くの人々が訪れていた。教祖祭にあわせて恒例の製造物責任花火芸術が行われることとなっており、十万本の花火に照らされた夜桜はさぞ絶景であろうと多くの人々が胸躍らせて日没を待った。
だがしかし、太陽が南中した直後に異変が生じた。爛漫の花をつけたまま桜の木々がいきなり地面から持ち上がり、一本、また一本と、根こそぎ空へと上っていったのだ。
ひゅるる〜るぅ〜。
何とも間の抜けた音とともに上空凡そ五百メートルの高さまで上がった一万四千本の桜の木々は、一斉にぱんと弾けて飛び散った。
呆気にとられて空を眺める人々の顔に頭にはらはらと降りしきる桜吹雪。
かくして季節外れの桜の開花は終了し、あとには一万四千個の穴が残った。花見を終えてとぼとぼと帰路を辿る人々と、これから打ち上げられる花火を楽しみに意気揚々とやってくる人々が交錯する光景はあたかも八月半ばの東京臨海新交通臨海線を思わせるものであったが、これはまた別の話。