非線状的言語は可能か?
ここではっと気づいた。テーブルに並んだカードどうしの関係やまとまりの階層がどれほど複雑であっても、最終的には1次元に並べ換えることになる。なぜなら文章とはそういう形式の出力だからだ。単純な例として、要素A・B・Cがどれも同じく重要でしかも同じ相互関係でつながっていたとする。その場合、ABCはたとえば三角形に配置して一挙に示すほうが写実的だ。図ならそれができる。しかし文にはできない。どうしても「A→B→C」や「B→A→C」などの線で示すしかない。しかもそれは1本かつ1方向の線だ。我々は2つの文を同時に読むことはしない。また文には始めと終わりがあって逆にはならない。
【略】
というわけで、可能性としては、少なくとも2次元的つまり粘土板やパピルス紙に文字を平面として自在に広げていくような使い方があってもよかったのではないか。そう、あたかもテーブルにカードを並べていくがごとく。
【略】
人間の側にも言語の側にも1次元であるべき理由がないなら、先に述べたとおり、平面や空間に広がって展開する多次元の言語などが誕生してもよかったことになる。ただそれは芸術の表現に近いようにもみえる。全体を眺めるものだったり、意味が特定されなかったりと。しかし一方、現在の言語とは完全に異質な文法によって制御され、現在よりはるかに緻密で多彩な表現のできる言語が、成立する可能性もあるのではないか。
本当は全文引用したいところだがそうもいかないので、適当に細切れに抜き書きしてみた。
今引用した最後のパラグラフで述べられているアイディアを確か昔どこかで読んだような気がしたのだけどなかなか思い出せずしばらく頭を抱えて転がり回った。最近ね記憶力が減退してちょっとしたことでも思い出せなくなっている。としはとりたくないものです。
しばらく考えてようやく思い出した。
これだ。
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実在する言語で線状性を全く持たないものは知らないが、枝分かれする言語の実例なら挙げることができる。フレーゲの『概念記法』の言語がそれだ。
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- 概念記法 - Wikipedia
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フレーゲは現代の記号論理学の礎を築いた人で、フッサール、ラッセル、ウィトゲンシュタインなどに大きな影響を与えた*2が、その独特な記号法はほとんど普及しなかった。今、論理学で使う記号は日常言語の文と同じく線状的なものだ。
フレーゲの記号法は黒板や床などに手書きするのには向いているかもしれないが、活版印刷には不向きだ。今では活版印刷は廃れてしまったが、活字を拾って文章を組むのも、キーボードから文字を入力するのも似たようなものなので、やはり使い勝手が悪いことに変わりはない。「あなたの人生の物語」の言語*3も実際に使用しようとすると同じ難点に突き当たるだろう。
仮に言語に本質と呼ばれうるものがあるとしても*4、少なくとも線状性は言語の本質ではないだろう、と思う。だが、音声言語の場合は、そもそも音声が線状性をもつが故にそれから逃れられない。文字言語にはそのような制約はないが、音声言語の転写から始まり、それに併せて筆記具が発達したという歴史の積み重ねがあるため、たまたまフレーゲのような人が現れて非線状的な言語を発明したとしても、それまでの歴史の重みに負けて淘汰されてしまう。
人類とは全く異なる言語使用史をもつ異星人なら非線状的言語をもつことは可能だろうし、何らかの技術革新または差し迫った必要によってレガシーフリー言語が登場することになれば、それが非線状的であることはあり得るかもしれない。そのような「可能性」を云々することにどれほどの意味があるのかはわからないけれど。