非モテの魅力を発信するには

「魅力発信」の不思議 - 一本足の蛸を書いているときに、ふと思いついた。上の記事は真面目な話なので、項目を分けて書くことにする。
非モテ」とは主として、異性にモテない人のことを指すが、ここでは異性同性関係なく、社会生活の中で他人から積極的に好意を向けられる機会に乏しい人のことを「非モテ」と呼ぶことにする。要するに、非モテとは魅力的でない人のことだ。
魅力的でないということは、必ずしも価値がないということではない。成績優秀でスポーツ万能、容姿端麗、性格にも非の打ち所がなく、実家は資産家で毎月のおこづかいは100万円、しかもバナナを買う金はそれに含まれない。一方で、完全無敵な超人というわけではなく、バナナの皮で足を滑らせて目の前の女子生徒のスカートを思わず掴んでずり下げてしまい、いちご柄のパンツを衆目に晒してしまい、ほっぺたに一週間残る紅葉マークをつけられてしまったなどというお茶目なエピソードもある。そんな人物が全く魅力をもたず、誰からも注目されず、寂しい非モテ人生を歩んでいるということも論理的にはあり得ないことではない。でも、実際にはそういうようなことはありそうもない。
やはり非モテというのは、(以下、書くのも辛く読むのも辛い数行をカット)な人が多い。人は人として生きているだけで価値があり尊厳をもって扱われるべき存在なのだ、という理念が空虚なものとして感じられ、かえって苦痛を増すような、そんな「持たざる者」が非モテとなる。「持てる者」にはこのあたりの感覚が掴みづらいかもしれないが、ともあれ「そういうものだ」と思っていただきたい。
さて、そんな非モテにもいいところがある。探せばきっといっぱい見つかるはずだ。たとえば、小学校一年生のときに夏休みのラジオ体操で皆勤賞を取ったことがあるかもしれない。たとえば、寝る前にはちゃんと歯を磨いているかもしれない。たとえば、書店に並んでいるラノベをみただけで発行部数をプラスマイナス10パーセントの誤差で推測できて「んー、『俺妹』4巻は初刷○万部くらいですか?」と言って関係者を驚かせることができるかもしれない。そんな「いいとこ探し」をして集約したものを大々的に外向けにアピールすれば、非モテにも新たな展望が開けるのではないか。
このとき、重要なことがひとつある。それは、探し出した「いいとこ」がいかに客観的にみてつまらないものであったとしても、決して認めず諦めず魅力発信を続けるということだ。なるほど、自己客観視は一般論としては大切なことだが、非モテの魅力発信の場ではさして重きをおくべき事柄ではない。というか、むしろ自己アピールの邪魔だ。そんなものは犬にでも食わせるがいい。夫婦喧嘩は食わないグルメな犬でも、非モテの自己評価は食ってくれるだろう……と期待したい。
さあ、あなたの前には素晴らしい世界が開けている。ラジオ体操のスタンプカードを手に持って、一歩前に踏みだそう!
勇気が出ない?
そんなあなたにこの本を。表題作だけなら立ち読みでも十分。

かぼちゃの馬車 (新潮文庫)

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