生物多様性のわかりにくさ

私たちは生物多様性からの恵みに支えられて生きています。たとえば、食べ物、木材、衣服や医薬品。さらに、私たちが生きるために必要な酸素は植物などによって作られ、汚れた水も微生物などによって浄化されています。生物多様性は、私たちの生活になくてはならないものなのです。

地球温暖化」の次は「生物多様性」が環境分野のキーワードだそうだが、どうもこの言葉はわかりにくい。いや、読んで字のごとくさまざまな生物がいることという意味だから、その限りではわかりにくいわけではないのだが、なんでそれが大切なことで守っていかなければならないのかが今ひとつピンとこない。
人間は生物からさまざまな恵みを受けている。生物の種類が多ければ多いほど、その恵みも多くなる。もちろん、生物は人間に恵みをもたらすだけではなく、しばしば危害を加えるが、そういったマイナス面を抜きにしてプラス面だけに目を向ければ生物多様性から人間は恵みを受けているということになる……のか?
いや、違う。
生物が多様であれば、生物から受ける恵みも多様になる。しかし、それを生物多様性の恵みと言ってしまうのは論理的におかしい。語順が違ってしまっている。強いていえば「生物からの恵み多様性」とでも表現することになるだろうか。それでは日本語としてこなれていないから「生物多様性からの恵み」と表現しても悪くはないのかもしれないが、生物多様性と人間の間に一方が他方に恵みを与えるという二項関係が成り立っているわけではない。この文脈で「生物多様性」は擬似的な指示句であり、適切な論理分析によって解消されるべきものだ。
生物多様性のわかりにくさには他にも理由があるのだろうが、今見たような言語上の特徴にも大きな要因があるのではないかと思うのだが、他にそんなことを言っているのを見聞きしたことがない。さていかがでしょう?