キリスト教式結婚式の司会を務める偽牧師はどうして外人なのだろう?

今日、二十年来の知人の結婚式に出席した。生まれて初めてのキリスト教式だ。
胡散臭い外人*1がときおり英語を交えつつ片言の日本語で進める式は、まるで芝居のようで、何とも言えない奇妙な感慨があった。
新郎新婦退場の際の音楽がバッハ=グノーの「アヴェ・マリア」だったのも奇妙だと思った。
今日の一枚は披露宴で新郎か新婦の仕事の関係の偉い人がスピーチをしているときのもの。逆光で顔が見えないのが残念だが、人物が特定できない写真を選択することを条件に写真掲載の承諾を貰ったのだから仕方がない。

*1:「外人」という言葉には一種独特のニュアンスがあり、ふだんは使用を控えているのだが、この文脈ではむしろそのニュアンスが重要だと考えたので、あえて使うことにした。