ネットの敷居が高い今日この頃

恥ずかしながらつい最近まで「敷居が高い」という慣用句の本来の用法を知らなかった。そして、本来の用法を知った今となっては、このことばを使う機会がほとんどない。なるほど、言葉の誤用が本来の用法を駆逐するのにはそれだけの理由があるのだ、と思う。たとえば、檄文が書かれなくなった現在、「檄を飛ばす」が本来の意味を保ち続けるのは難しいことだろう。
「敷居が高い」に戻る。
日常生活ではほとんど使うことのないことばだが、ここ数ヶ月のネット活動を振り返ってみると、このことばがよくあてはまるように思う。他人のサイトにリンクしづらくなったし、メールを送ることもなくなった。オフ会なんか敷居が高くてとてもとても……。
ああ、人はこうやってネットコミュニティから離れていくのか。これまで多くの人がネットから消えていくのを見送ってきたが、今、まさに自分自身が消えかけているのを自覚して、何ともいえない感慨にとらわれる。
初めて自分のパソコンでインターネットに接続したのが1998年11月7日。それから10年あまり、よく続いたものだと思う。サイトをいくつも作っては消し、ハンドルも5つくらい変えてきたが、それでもネットに対する基本的なスタンスはほとんど変わらないままだった。しかし、今はもう昔のことだ。
読書傾向がミステリからライトノベルへと変化して、それまでのネット上で築いた人間関係をほとんど放棄したときにも一抹の寂しさを感じたものだが、今回の変化はそれを上回る。もうネット上のどのようなコミュニティにもコミットできなくなるだろうという予感がする。
「一本足の蛸」はしばらく閉鎖せず、余裕があればたまには更新しようとは思っているが、いつまで続けられるのはわからないので、このあたりで別れの挨拶をしておいたほうがいいだろう。これまで、このサイトの拙い記事を読んでいただいた皆さん、どうもありがとうございました。