現猫神

「観光まねき大明神」という神名(?)を考案したのは和歌山電鐵側なのか、和歌山県側なのかはわからないが、これで今後のストーリーがある程度決まったのではないかと思う。
以前から、たま駅長の寿命が尽きたら、その先はどうするのか気になっていた。「たま二世」で繋いでいくのではないか、と言う人もいるが、それはないだろうと思っている。というのは、たまが背負ってきた物語を継承できて、かつ、無遠慮な観光客の視線と撮影に耐えられる猫がそう簡単に見つかるとは思えないからだ。それに、仮に二世を据えることに成功しても、縮小再生産にしかならない。
以下、過去記事から引用。

以前、こんなことを書いた。

たまは「スーパー駅長」などという、よくわからない役職に就いてからもどんどん人気が高まっているようで、別にそれにケチをつけるつもりはないのだが、猫の寿命はいつかは尽きるものだから、それがちょっと心配だ。設備と材料さえあればいくらでも焼き続けられるぬれ煎餅とはわけが違う。

まあ、天下の両備グループが、たまの死後のことを考えていないわけがないか。

これまでも、生身のたまの写真ではなく、デフォルメしたイラストを用いたグッズはいくつも出ていたが、『たまんが』により、さらに一つのステップを踏み出したのではないかと思う。本は物語の器であり、物語はキャラクターの住み処となる。徳川光圀が死んでも水戸黄門は死なないのと同様に、キャラクターの「たま」も生身のたまの死を乗り越えて生き続ける可能性がある……というのは楽観的な見通しかもしれないが。

よく考えてみれば、キャラクターの住み処である物語の世界は現実の鉄道とも駅とも別のものだから、「聖地巡礼」客以外には集客力が乏しい。それに対して、神格化して文字通りの「聖地」にしてしまったほうが、より多くの客を見込めるだろう。
昨年、建て替えられた貴志駅は、主に寺社建築で用いられる檜皮葺の建物で、さらにホームには3つの小さな祠が設けられていた。今から考えてみれば、これも、たまの神格化の布石のひとつだったのだろう。
たまが生物としての死を迎えたとき、神格化は完成し、ご利益*1を求める善男善女が大明神に詣でることになるだろう。
かつて、寺社参詣客輸送を目的として多くの鉄道が敷設された時代があった。また、鉄道会社が寺社を設立した例もある*2和歌山電鐵が今行っていることは、鉄道経営のひとつの戦略パターンの延長線上にある*3と言えるかもしれない。
あとは、「廃線寸前のローカル線を救った猫という物語で廃線寸前のローカル線を救う」という、究極的には無根拠なウロボロス的構造*4を今後どうしていくかが問題となるだろう。これは、たまの寿命という限界とは別問題で、キャラクター化や神格化によって克服されるものではない。
まあ、天下の両備グループが何も考えていないはずはないので、何とかするのだろう。

*1:「りやく」と読んでください。「りえき」ではありません。

*2:成田山名古屋別院大聖寺 - Wikipedia成田山大阪別院明王院 - Wikipediaを参照。どちらも成田山だが、たまたますぐ思い浮かぶ例がこのふたつだというだけで、ほかにも例はあるだろうと思う。

*3:もちろん、過去の例のどれとも異なっているので、連続性のみを強調するのは不当だろう。

*4:あるいは、鼠講的構造と言ってもいいかもしれないが、猫の話題に鼠を引き合いに出すよりは蛇のほうがましだと思ったので、本文では「ウロボロス的構造」という表現を用いた。