まるで叙述トリックのような……

報道によれば、今回の私の行動に否定的なコメントを教育委員長や教育委員(いずれも非常勤です)が出されている一方、教育委員会事務局の幹部(常勤職員です)は、昨日の段階でも私の行動は間違っていないと言っています。つまり、教育委員会においても、「斉唱」という職務命令について深く考え切れておらず、統一的な見解が出されていないのです。

我々校長は常勤の教育委員会事務局員と日々話をします。教育委員とは滅多にお話できません。事務局が明確に「斉唱を遠目から確認してください」と指示を出し、いまでも「中原のやったことは間違っていない」と言いながら、教育委員が正反対のことを仰るのは支離滅裂です。私自身、妙な言い訳や責任転嫁をする気はありませんが、今回の件を通じ、6人の教育委員のうち、非常勤が5名もいて常勤の事務局との連絡すら取れていない教育委員会制度の限界を痛烈に感じざるを得ません・・・

もうすぐ入学式です。それまでに教育委員会として「斉唱」の取り扱いについて明確な判断を示すべきです。

広い意味の「教育委員会」には教育委員会事務局を含むが、狭い意味では事務局は含まず、教育委員のみからなる。そして本来の意味での教育委員会教育委員会事務局職員の関係は上司と部下の関係だから、言っていることが逆だとすれば、単に部下が上司の意に反したことを言っているだけのことで、「支離滅裂」とまで評するものではないだろうと思う。
で、この文章を読んでひとつ違和感をおぼえたのが、5人の非常勤の教育委員に言及しながら、残る1人、常勤の教育委員であり、かつ、教育委員会事務局職員でもある人物、すなわち教育長に全く触れていないことだ。教育長のこの二重の性格は、非常勤の委員と常勤の事務局を繋ぐ要の役割を期待されているからなのだが、この筆者はそういうこともすべて知っているはずなのに、なぜそのことに触れないのだろう? 何か触れられない事情でもあるのだろうか、と勘ぐってみたくなった。