「江戸時代に戻ればいい」

上の記事、隘路に…… - 一本足の蛸の続き。
さっきはPseuDoctorの科学とニセ科学、それと趣味: 電気が足りないと人死にが出る(あるいは、脱原発への冷静な議論)の「段階的脱原発派」としての主張に首を傾げたのだけど、もう一つ別のところでも疑問を感じたので指摘しておきたい。

「電力が足りなければ使わなければ良い」という考えの人もいらっしゃる様です。そしてどうやら、その考えの根拠になっているのが「昔はそんなに電気は使っていなかった。多少は不便かもしれないが、昔の暮らしに戻れば良いのではないか」という考え方の様です。極端な意見では「江戸時代に戻れば良い」とまで言っている人も居る様です。

というわけで、「江戸時代に戻れば良い」と言っている例をひとつ紹介しよう。

そもそも相手にする話でもありませんが、私自身は「江戸時代に戻ってもいいじゃない」と思っています。が、それ以前に江戸時代とは知識レベルで問題になりませんから、江戸時代とは条件が違います。例えば、江戸時代の死因の多くには感染症がありましたが、感染症予防に必要な知識が欠けていました。今ではエネルギーが無くてもある程度の感染症予防が可能です。

というより、江戸時代に回帰するほどの資源不足なら、電力しか作れない原子力があっても無駄というものでしょう。むしろ、持続可能性のあるエネルギーへのシフトが必至、という結論になってしまうのでは?

前後の脈絡から切り出してここだけ引用すると極めて過激な主張のように見えるが、これは「原発を止めると江戸時代になる!」という売り言葉に対する買い言葉なので、あまり真正直に相手にする話でもない。
同じ人が別のときに次のように言っている。

つまり、一般生活水準と電力(エネルギー)需要は一致しないのだ。現在の6割の電力消費であっても、バブル時代の方がいいでしょう?

また、あの時代が電力消費が現在の5〜6割であったのなら、現在では同水準の生活レベルで更に減らす事が可能なはずである。なぜなら、家電関係の消費電力は、特に動力物は、大きく減っているからだ。当時の半分から3分の1程度で済むようになっている。何がそれほど電力を喰うようになったかは自分には判らない。しかし、あの時代がとりわけ不便だった記憶は無い。バブル時代の生活を再現するだけでも、電力消費は現在の半分以下になるのである。

別に、江戸時代の生活に戻る必要はない。昭和30年代(1960年代)の生活に郷愁を見出すまでもない。

徒花のような「バブル時代」でも、原発を止める事は可能だし、COP3を達成できるのである。

これは日本の電力消費推移のグラフを受けての発言だ。バブル時代の電力消費が現在*1の5〜6割という読み方は残念ながらできなかった*2が、それはともかく日本の電力消費量は1950年代半ばから右肩上がりに増加しているということはわかる。
その上で次の一節を読むと、議論のポイントがずれまくっているような気がしてならない。

別に江戸時代まで戻る必要はありません。殆ど電気が無かった明治大正の時代の暮らしを考えて見ましょう。例えば、当時の家庭の主婦の仕事とは、いかなるものだったのでしょうか。

朝は誰よりも早く起きて、水を汲み火をおこして朝食を作ります。それだけで一仕事です。特に水汲みは重要です。炊事洗濯掃除の全てに水は必要だからです。昼食は食べない事も多いので、朝食の片付けが終わったら、掃除をして洗濯をして夕食の支度をします。夕食の片付けが終わったら、乏しい灯りの下で繕い物などをします。要するに、いわゆる「家事」のみで一日中忙殺され「自分の時間」など片時も無い、というものです。

「殆ど電気が無かった明治大正の時代の暮らし」を持ち出すのは、反電力派への対論としては有力であるかもしれないが、脱原発への冷静な議論にはあまりふさわしくないように思われる。
ところで、過去の話はともかくとして、今後の電力需要はどうなるのか? 東日本大震災前の資料だが、2つ見つけたので紹介しておく。どちらもPDFなのでご注意。

PDFファイルの閲覧ができない人のために、今の話題において核心の部分を引用しておく。

エネルギー需要の伸びが鈍化するなか、電力需要は2020年まで1.6%で増加、その後も0.5%で増加。

世帯数と総生産のピーク時期には、地域差があることから、電灯と電力を併せた地域の総電力需要がピークをむかえる時期にもばらつきが生じます。たとえば、産業用需要の比率が小さく、世帯数の減少が比較的早く訪れる北海道では、2017年に総電力需要が減少局面に転じます。

一方、世帯数の増加が2032年まで続く沖縄では、総電力需要は2041年でピークを迎えるものとみられます。なお、全国の総電力需要のピークは、2022年ごろと見込まれます。

繰り返しになるが、これらのシミュレーションは東日本大震災前に行われたものなので、電力供給が頭打ちになることを想定に入れてはいないはずだ。もうちょっと新しい資料をご存じの方はぜひご教示いただきたい。
また、話は変わって、「江戸時代に戻れば良い」について。
ふと思いついたのだが、「戻れば良い」ではなくて、今の我々はある意味で既に江戸時代に戻っているのではないか。というのは、上の記事でも述べたように、いま陥っている隘路を自力で切りひらく術がなく、「神仏に祈りを捧げて身を清め、万が一の場合には天命に従う」というような発想が浮かんでくるような状況は、江戸時代と同じようなものではないか、という思いつきなのだが、これもまた極論かもしれない。神仏に身をゆだねた事例を求めるのに、江戸時代まで戻る必要はない。せいぜい1940年代くらいまで戻れば……。
……と脱線したところで、最後にお薦めの小説をひとつ紹介しておく。

幻覚のメロディ (集英社文庫)

幻覚のメロディ (集英社文庫)

このアンソロジーに堀晃「省エネねずみ算」という小説が掲載されている*3。今手に入るかどうかも知らないけれど、もし見つけた人はぜひご一読を!

*1:というのは当該記事が書かれた2007年のことです、為念。

*2:グラフでは、1990年前後はだいたい7000億キロワットで2005年にはだいたい9000億キロワットに見える。

*3:ほかには個人作品集の『エネルギー救出作戦』にも収録されているそうだが、そちらは未見。なお、初出は雑誌「原子力文化」だそうだ。