「原発なしでは電力が足りない」

北海道の冬、原発なしで電力は足りるか?について考えてみた - 紺色のひとを読んで、先日Twitterで次のような連続ツイートを行った。

これは出勤途中に携帯電話からつぶやいたもので、ろくに推敲もしていないものだから、今読み返してみるとかなり不満もあるのだが、基本的には今でも同じ考えをもっている。少し整理してみよう。
元記事は「今年の冬に泊原発が再稼働しなくても北海道の電力は足りているのか?」という設問に対して各種資料を丹念に調べた末、「足りない」という結論を出したものだ……というふうに理解している。この解釈が間違っていたらここから先の話の前提がすべて崩れてしまうことになる。ごめん。
で、この事実認定に基づき、次のように述べているのだが……。

もちろん、僕は「原発を即時再稼動すべき」と主張しているわけではありません。この「足りない」状況にあって、現実的にとり得る手段のひとつに泊原発の再稼動があるなら、それを選択する必要もあるだろう、と考えているのです。実際に再稼動されるにあたっては、法に定められた安全基準を満たし、慎重に慎重を重ねて行われるべきでしょう。

この箇所に釈然としないものを感じて上記のとおりツイート連投したのだが、なぜ釈然としないのかをもう少しきちんと説明しておこう。
まず、一つめ。アサイ氏は「原発を即時再稼働すべきではない*1と主張しているわけではない、とのことだが、今冬の北海道の電力需給の逼迫を打開するのに原発の再稼働が必要なのだとすれば、少なくとも「原発を冬場ピーク時までに再稼働すべきだ」という主張がそれまでの記述からほぼ自動的に導出されるのではないか?
二つめに、原発再稼働を「現実的にとり得る手段のひとつ」としてしているが、他の発電手段や節電、他の電力会社からの融通などすべて加味しても電力が不足するということなら、原発再稼働は「とり得る手段のひとつ」ではなく「唯一無二の手段」ということになるのではないか?
三つめ。アサイ氏本人の内心の思いはともかく、北海道の冬、原発なしで電力は足りるか?について考えてみた - 紺色のひとにおける事実認定に誤りがないとした場合に、果たして「法に定められた安全基準を満たし、慎重に慎重を重ねて行われるべきでしょう」と言えるのかどうか。法に定められた安全基準に縛られて再稼働を躊躇していては凍死者が出るのではないか? 慎重に慎重を重ねて検討している時間的余裕はあるのか?
?ばかり並べ立てたが、アサイ氏を批判ないし非難しようという意図によるものではない。常識的に考えて、アサイ氏のスタンスで、この文脈で「僕は原発を再稼働すべきだと考えています。それが現実的にとり得る唯一の手段だからです。電気の切れ目が命の切れ目なのだから、法に定められた安全基準をまたしているかどうかは二の次です。慎重さが命取りとなることも考えられますから、熟慮もほどほどに」などとは書けない。ここで並べた疑問符はアサイ氏に向けたものではなくて、問題そのもののの困難さを浮き彫りにするためのものだ。
Twitterでもつぶやいたとおり、北海道の電力問題は他人事ではあるのだが、類似した問題は夏場の関西で先に発生していた。それについての見解は次のとおり。

これを書いたときには地震津波のことしか考えていなかったが、安全性を無視ないし軽視して原発再稼働を強行した場合に発生するかもしれない事故のことまで考えると問題はさらに厄介だ。さて、どうすればいいのでしょう?????

*1:なぜか余計な3文字が付け加わって意味不明になっていることに気づいたので削除しました。(2012/09/09追記)

*2:言わずもがなのことですが、この見出しは「アイロニー」の捩りです。