今年最後に読んだ本……になると思う、たぶん

専門家の予測はサルにも劣る

専門家の予測はサルにも劣る

先日、この本を図書館で借りたとき、次のように呟いた。
この予測は外れた。なんと、『専門家の予測はサルにも劣る』を今日、完読してしまったのだ。賭けに乗る人が誰もいなくてよかった!
自分自身の行動についての予測すら外れることがあるのだから、社会現象などという得体のしれないものについての予測が外れるのは当たり前のことだ。とはいえ、予測は常に外れるわけではない。十分なデータと分析により行った予測は、そうでない予測に比べれば外れる確率は低いだろう。そう思いたくなる。そして、専門家は少なくとも一般人よりも豊富なデータを持ち、分析能力にも優れているはずなのだから、専門家が行う予測はかなりの確率で当たるはずだ。
……そうではない、というのが『専門家の予測はサルにも劣る』の主張だ。著者はカリフォルニア大学ハース・スクール・オブ・ビジネスで心理学を研究している、フィリップ・テトロックが行った実験を次のように紹介している。

まず、多くの専門分野にわたるネットワークを駆使して、284人の専門家を集めた。政治学者、経済学者、ジャーナリストなど、政治や経済の流れについてコメントしたり、アドバイスしたりすることを職業とする人たちである。全員が匿名性を保証された。プレッシャーを与えたくなかったし、予測の結果が評判に影響するのではないかと心配させるのも避けたかったからだ。匿名のまま、自由に判断してもらった。
そうして実験が始まった。長年にわたって、テトロックとそのチームは専門家たちに質問を浴びせ続けた。そして、合計2万7450もの将来に関する予測を集めた。この種の実験としてはかつてない規模であり、その結果は驚くほど明確だった。
【略】
キャリブレーション」では、これなら適当に予測した方がましだと思われる結果となった。テトロックはもう少し辛らつに表現する。専門家は「ダーツを投げるチンパンジー」にも負けただろう、というのだ。「判別」では多少ましな結果が出た。「多少まし」という表現は誇張でもなんでもない。「キャリブレーション」と「判別」をあわせれば、かろうじてチンパンジーに勝てるチンパンジーに勝てる程度だった。しかし、そのわずかな差自体に大きな意味はない。悩ましいのは、専門家の予測が、当てずっぽうと同程度にしか当たらなかったという事実の方だ。

文中の「キャリブレーション」と「判別」は、専門家が行った確率つき予測に対する評価基準のことだが、詳述はしない。
この本の邦題はいま引用した箇所からとられているが、原題はもっと単純で"Future Bable"という。本文を読めばタイトルの意味は明らかだが、未読の人が『未来バブル』という字面を見ても何を言わんとしているのかがよくわからないだろう。なので、"Why Expert Predictions Fail - and Why We Believe Them Anyway"という副題がつけられている。邦題には、専門家の予測を信じる"We"に当たる語がないため、あたかもこの本が専門家の外れた予測をあげつらって馬鹿にするだけのものという印象を受けてしまうのが残念だ。だが、原題の直訳だとたぶんこの本を手に取ることはなかっただろう、と考えると、「まあしょうがないか」という気にもなる。
タイトルについてはこれくらいにしておいて、再びテトロックの実験に戻ろう。

専門家の将来を予測する能力は、確かに総じて期待外れではあった。ただ、より注意深く結果を検証すると、専門家の中でも有意なばらつきが見られた。わたしたちはそのばらつきにこそ注目すべきだと、彼は述べる。
【略】
結果の悪かった専門家――おそらくコインを投げて実験に参加した方がいい結果が出たと思われる――というのは、複雑性や不確実性に不安を感じる人たちだ。彼らは「問題を減らしていき、理論上の核となるものに行きつこうとする」とテトロックは言う。そして、その核となるものをテンプレートのように繰り返し使用して、結局予測をだめにしてしまうのだ。
【略】
一方、平均点以上の結果を出した専門家――当てずっぽうの予測よりは結果がよかった――は全く違う考え方をしている。テンプレートを持たずに、いろいろなところから情報やアイデアを収拾してまとめあげようとする。常に自己批判をして、自分が信じているものが本当に正しいか問いかけている。もし間違っていたことを示されたら、その間違いを過小評価したり、見て見ないふりをしたりはしない。ただ間違っていたことを受け入れ、自分の考え方を修正しようとする。

テトロックは前者を「ハリネズミ」、後者を「キツネ」と呼び、この本の著者、ダン・ガードナーもそれに従う。そして、この本の残りの章の大部分は「ハリネズミ」タイプの専門家が行った誤った予測の数々を紹介することに充てられており、その中でわずかに「キツネ」の言葉を引用している。いちいちその具体例を引用することはできないので、この本で特にページを多く割かれている「ハリネズミ」2人と、「キツネ」の例とされている稀少な人物2人に言及しておくことにする。
ハリネズミ」側としては、アーノルド・トインビーとポール・エーリック。
「キツネ」側は、マーチン・ガードナーとジョージ・ソロス
トインビーは日本でもよく知られた英国の歴史家だ。Wikipedia日本語版にもトインビーの項がある。たぶん現在の歴史学会でトインビーをことさら称揚する人はさほどいないとは思うが、別の分野*1では今でもよく賢人として言及される。
エーリックはトインビーに比べると日本での知名度は今一つだ。たまたま数ヶ月前に読んでいた『女性のいない世界 性比不均衡がもたらす恐怖のシナリオ*2でもエーリックを批判的に扱っていたので記憶に残っていたのだが、Wikipedia日本語版にはエーリックの項はまだないようだ。英語版にリンクしておく
ガードナーは言わずとしれたパズル界の巨匠で、もちろんWikipedia日本語版にもガードナーの項がある。『専門家の予測はサルにも劣る』では、パズルや数学の専門家としてではなく、名著『奇妙な論理』の著者として紹介されている。この本は昔、社会思想社の現代教養文庫から出ていたのだが、社会思想社が倒産してしまい残念に思っていたところ、早川書房から再刊されて喜んで買ったことを今でもよく覚えている。あれ、今でも入手可能なんでしょうか?
で、最後のソロスは世界有数の大富豪。例によってWikipediaにリンク。実生活においても精神生活においてもお金持ちとは無縁の暮らしを送っているので、これまでソロスのことは名前くらいしか知らなかったのだが、『専門家の予測はサルにも劣る』ではソロスをカール・ポパーの弟子として紹介していて、「へぇ」と感心した。
『専門家の予測はサルにも劣る』全体を貫く認知心理学的知見や、どことなく怪しい雰囲気のある人間の脳の進化についての解説など、まだまだ興味深い点は数多いのだが、登場人物(?)4人を紹介しただけで力尽きた。後は任せた!

おまけ

『専門家の予測はサルにも劣る』の著者、ダン・ガードナーはカナダのオタワ州在住のジャーナリストで、この本の中で紹介されている事例のほとんどは英語圏の専門家に関するものだが、もちろん専門家は日本にも多数棲息している。「ハリネズミ」タイプと「キツネ」タイプそれぞれに当てはまるのは誰だろうなぁ、と考えているうちに、ふと思い出したのが『デフレの正体 経済は「人口の波」で動く』とその著者、藻谷浩介氏のことだった。藻谷氏は本より講演のほうが面白い人で、つい先月もこの人の講演を聴いて、その議論の明晰さとわかりやすさ、自信たっぷりの話しぶりに強く感銘を受けたところだった。「ハリネズミ」とか「キツネ」というようなレッテルをむやみに貼るのはよろしくないので、ここでは藻谷氏のことを連想したと記すだけにとどめておく。

*1:あえてぼかして書いた。興味のある人は本文からリンクを張ったWikipediaの記事を参照するなり、「トインビー」で検索してみるなり、ご自由に。

*2:凄い訳題だ! でも、このタイトルでなかったら本を手に取らなかったかもしれない。