結婚生活が破綻して人殺しになった男の遺した音楽と結婚生活が破綻して殺された男の遺した音楽

1586年にジェズアルドは、いとこでペスカーラ侯爵令嬢のマリア・ダヴァロスと結婚するが、2年後にマリアは、アンドリア公ファブリツィオ・カラーファと情事を重ねた。最初の2年間は、ジェズアルドの目をかすめて不倫を続けることができたようだが、しかしその関係は余人の良く知るところであった。

ついに1590年10月16日、ジェズアルドは狩の遠出に出かけると伝え、マリアとカラーファ公の二人が警戒心を緩めていたところに、手下を連れてナポリの宮殿に乗り込み、妻とその愛人の濡れ場をおさえ、寝台の上で二人を惨殺した。貴族であるジェズアルドは処罰を受けることはなかったが、報復を避けるために領地ジェズアルドの居城に逃げ込み、ダヴァロス家からもカラーファ公の親族からも身の安全を図ろうとした。

1758年に結婚生活が破れると、人目を避けて貧民街に隠れ住むようになり、1764年にそのあばら家で、惨殺死体となって発見された。真相は依然として謎に包まれているが、おそらく事件の陰に、別れた妻が隠れている可能性がある。経済的事情が動機であろう。