事務局2件

坂戸市観光協会(事務局・坂戸市)が五月の定期総会で市の提出した新役員人事案を否決。事業計画・予算案も審議されないまま終わったため、七カ月も事業を行えない異常事態が続いている。旧役員らは二十六日、「中断した総会を再開する」として市内で総会を開き、新役員や年度内の事業計画、予算案を可決した。これに対し市商工労政課は「事務局が関知していない総会は無効。新役員も認められない」としている。

 そもそも会長になって会則を熟読して驚いたのは、会長の役割が明記されていないことである。会則によれば、会長ができることは次のふたつしかない。ひとつ、委員会を設置できること、ふたつ、臨時総会を招集できること。これだけである。一方、事務局長には絶大な権限が与えられている。総会や日本SF大賞の運営のみならず会計の決定権も事務局長にある。しかも総会では事務局長が議長を務めるのがなぜか通例であり、委任状として議長に投票権を預けた者は、自動的に事務局長に賛同したことになる。これはほぼ事務局長の独裁政権が可能な体制であり、それゆえ事務局長職に就く者は誰よりも優れたバランス感覚の持ち主でなければならない。そしてもっと驚くべきことに、会長と事務局長の関係がどのようなものであるかさえ、会則には明示されていないのである。極端なことをいえば、事務局長は会長の意思を確認することなくクラブを運営し、金を動かすことが可能である。

 日本SF作家クラブウェブページの「沿革」を見るとわかるように、かつてクラブには事務局長しかいなかった。この事務局長職は、国連事務総長をモデルにつくられたという小松左京さんの談話が残っている。かつてSF作家はひとり1ジャンルといわれ、それぞれに熱心なファンクラブがついていた。各会員はそうした「国」の代表者であり、事務局長はそれを取りまとめる国連事務総長というわけだろう。初期のクラブが国連ごっこをしていたと思うと微笑ましいが、このモデルは50年を経た現在、約250名を擁するクラブの運営にそぐわないものとなっている。

 実際、私が会長の時代、大森望氏の入会推薦がうまくいかなくなってからは、事務局との間に深い溝ができるようになってしまった。「事務局員は事務局長の下につくのであるから、たとえ会長といえども口出しをしないでほしい」といったクレームを事務局メンバーの一部から受けたこともある。私は孤立化し、運営に口出しすることがほとんどできなくなったので、この硬直した事態を改善するためには新会長を立てて自分が退く道を選ぶほかはなかった。

この2件はもちろん全く無関係なのだが、どちらも「事務局」の存在の大きさが印象的だ。
個々の件については特にコメントはしないが、とりあえず「組織運営って難しいなぁ」とだけ言っておく。