一本足の蛸

ある夜、こずえは自分が見世物小屋の蛸娘になった夢を見た。彼女は扇情的な赤い着物を着せられ、並み居る観客の好奇の視線に晒されていた。
「ささ、皆さん。とくとご覧じろ。親の因果の報いを受けて、蛸の足をもって生まれた世にも奇妙な蛸娘でござい」
着物の裾からは蝋でぬめぬめとした光沢を与えられた作り物の蛸の足が台座いっぱいにひろがっていて、その上にうつろな目をしたこずえが座っている。「何と哀れな蛸娘。彼女は自ら立って歩くことすら叶わぬのです」と弁士が歌うように語る。こずえはその言葉の意味すらわからない白痴のように振る舞う。観客の憐憫と嗜虐心をそそるためだ。頭を丸刈りにした上半身裸の大男がこずえの両脇につき、台座ごと彼女を舞台前方へと運ぶ。彼らの姿も蛸を連想させるための仕掛けだ。
夢だというのに細部までくっきりとしていて、少し気を抜いただけでそれが現実だと思えてくるほどだ。夢と現実を混同するほど愚かな事はない。こずえは観客の視線を浴びながら「これは夢、すぐにさめる夢」と自らに言い聞かせた。
やがて夜が終わり、刺すような朝日の光とむせるほどの磯のにおいで彼女は目を覚ました。あたりを見回すと水平線が広がっていて、こずえが寝そべっている小さな岩礁のほかには島一つ見えなかった。
こずえは視線を無限遠点から我が身へと差し戻した。
彼女は一頭の大蛸だった。
夢で見た見世物小屋の蛸娘のようなまがい物の足ではなく、無数の吸盤に覆われた気味の悪い野太い足が、頭とも胴ともつかない重くてぐにゃりとした本体から、たった一本だけ生えている。遠くからみれば、巨大な鯰に見えるかもしれない。
足はこずえの意志とは無関係にうねうねと波打つように蠢いていた。その動きが悪酔いを誘い、彼女はどす黒い墨を吐いた。ねっとりとした墨が彼女の全身にまとわりつき、その感覚が彼女に今の状況が夢ではないことを教えた。
どうしてこんな姿になってしまったのかと彼女は自問した。だが、すぐにそれが愚問だと気づいた。彼女は今朝はじめて蛸に変身したわけではないのだから。昨日も一昨日も彼女は蛸であり、そして一本足だった。
では彼女はどうして一本足なのだろうか。昔話のように心ない人間に一本また一本と足を切り落とされたのだろうか。それとも生まれたときからずっと一本足だったのか。