道具と手段

典型的な道具といえば、たとえばコップとかマンドリンなどだ。コップは食器で、マンドリンは鈍器だ。コップやマンドリンに限らず、「*器」と呼ばれるものはたいてい道具だ。
それに対して、快楽の機構とか人間の意識とかは、ふつうは道具のうちには入らない。これらを道具とみなすためには、「道具」という言葉の適用範囲をかなり広げる必要があるだろう。科学哲学の分野では、科学理論を道具とみなす道具主義という立場があるので、このような拡張はやってやれないことではないが。
仮に「道具」という言葉の適用範囲を拡大して、快楽の機構や人間の意識などを含むことにしたとする。その場合でも、「道具」という言葉を「目的」という言葉と対をなすものとして使うことには問題がある。「目的」の対義語は「手段」だが、「道具」では「手段」のかわりにはならない。
たとえば、人を殺すためにマンドリンで頭を殴る場合。目的に相当するのは人を殺すコトであり、対となるのはマンドリンで頭を殴るコトである。ここで、マンドリンというモノは、手段の一部であって全部ではない。
目的というコトと道具というモノを対にしてしまうと、道具を用いるというコトがすっぽりと抜け落ちてしまう。それは、目的をめぐる議論から行為者が抜け落ちるということでもある。