「必読書」という言葉に押しつけがましさを感じる人のために


社会自体が新しいものの価値を重視するようになっているわけなので、たとえば小説でも以前から読書をしている人間が新しいものを手に取ることは簡単だとしても、反対に若い人が以前からあるものを手に取ることはむずかしい。それと同時に以前からあるものの価値を伝えることが考えられていない傾向がある。というか、"価値を伝えていくこと"という行為自体の価値が低くなって、あまり考えられていないんじゃないかと思ったりするわけです。つまりそういうことを伝えようとする人間がいない。そして伝わらない。だからこそたまに「古典を読め」なんて言うと抵抗があるわけで、古いものが重視されてる世界ではそんなことは起こらないですよね。そうやっていろいろこぼれ落ちていってるんじゃないかなあ、と。