ぼくはポストに恋をする

ぼくが郵便ポストに恋をしたのは、去年の年末のことだった。
職場の忘年会でしこたま呑んで、駅からバイクで5分の距離を千鳥足でよたよたと歩いていると、急に尿意を催してきた。駅まで戻るのは馬鹿らしいし、そこからぼくの住処(築35年の安アパートだ)まではとてももたない。古い住宅街でコンビニなんてないし、馴染みの煙草屋はもう店じまいした後だ。
仕方ないな。
ぼくは辺りに人通りのないことを確かめて、そっと路地裏に入った。そして、なすべきことを行った後、再び表通りに戻ったとき、誰かが投げ捨てたバナナの皮を踏んづけてしまった。何という不覚!
もともと足もとがふらついていたぼくは一挙にバランスを崩した。あ、転んでしまう。
でも、ぼくは転ばなかった。後頭部に何か硬い物が当たり、ぼくはそれに支えられて、地面に倒れこむのを免れた。
身をよじってぼくはその硬い物の正体を確かめた。あ、郵便ポストだ。昔ながらの円柱型のポストが、常夜灯のほのかなあかりに照らされて、赤く赤く輝いていた。
その瞬間、ぼくは恋に落ちたんだ。
どうしようどうしようどうしよう、郵便ポストに恋するなんて。毎日の通勤路にあって、これまで何百回も見たことがあるのに、どうして一目惚れしてしまったんだろう。このまま素知らぬふりをしようか。それとも通勤ルートを変えようか。ぼくは悩みに悩んだ。
だめだだめだだめだ、告白もしないうちからそんなに弱気じゃ全然だめだ。ぼくがようやく決意して、熱い想いを手紙に書いたのは年が明けてからのことだった。ぼくはその手紙をそっと懐にしのばせて、通行人が誰もいない早朝を狙って、そっと郵便ポストに投げ入れた。ずっと憧れていた先輩の下駄箱にラブレターを入れる女の子のような気持ちだった。
ぼくは返事を待った。職場への行き帰りに横目でそっと郵便ポストを一瞥すると、心なしか以前よりも赤みが増しているようだった。あ、ポストもぼくのことを意識しているんだ。じゃあ、もしかしたらいい返事が貰えるかも。
でも、ぼくの希望は叶わなかった。一週間経っても十日経ってもポストは返事をくれなかった。ただ、思わせぶりに街角に立ったままだ。どうしてだ。ぼくをじらして楽しいのかっ。
外回りの仕事でぼくの通勤路をよく通る先輩に、さりげなく尋ねてみた。
「駅前本通りの煙草屋の前の郵便ポストなんですが、最近何か変わったという感じはないですか?」
すると先輩は怪訝そうな顔で、「いいや、何も」と短く答えた。
じゃあ、最近ポストの赤みが増したと思ったのはぼくの勘違いだったのだろうか。ポストはぼくのことを何とも思っていないのだろうか。
ぼくは二度、三度と手紙を出した。最初のうちは、ぼくがいかにポストのことを想っているかということを書きつづっていたけれど、何度手紙を出しても全然反応がないので、だんだん恨みつらみが混じるようになってきた。そして、桜の花の舞い散る頃、とうとうぼくは壊れた。
どうしてぼくの想いをわかってくれないんだ。言葉ではぼくの想いが伝わらないのなら、行動で示すまでだ。ぼくの熱くて濃厚な魂のエキスをたっぷりとぶちまけてやるんだ。相手は逃げることも叫ぶこともできないから、失敗する気遣いはない。でも、ことは犯罪だから、人目には注意しないと。ぼくは念入りに計画を立てて、決行日を待った。
深夜、ぼくはこっそりとアパートを出て、郵便ポストに近づいた。人はいない。犬も猫もいない。ぼくは用意した踏み台をポストの前に置いた。ポストの差出口の高さを予め調べておいたので、踏み台に乗ると、ちょうどぴったりの高さになった。ぼくはなすべきことを行った。
翌日、仕事場でのんびりとくつろいでいると、外回りから帰った先輩が血相を変えてぼくに詰め寄った。
「お前、なんて事をしてくれたんだ!」
どういうことだろう、先輩は何を言ってるんだ?
「この手紙はお前が書いたんだろう。差出人の名前は書いていないが、癖のある字だからすぐにわかったよ」と言いながら、先輩は何通もの手紙をぼくに突き付けた。確かにそれは、ぼくが一字一字に心をこめて手書きしたラブレターだった。そして、最後に出した手紙には昨夜の行為を予告するような内容が書かれている。言い逃れはできない。
でも、どうしてぼくの手紙を先輩がもっているんだろう?
次の瞬間、天啓が訪れた。
ポストは先輩とデキていたんだ!
そう考えると、ポストの表情の変化について尋ねたときの先輩のおかしな返答も納得できる。
ひどい、ひどすぎるよ。ぼくの純情を踏みにじっただけじゃなくて、先輩に手紙を渡してしまっていたなんて。ぼくは郵便ポストの裏切りに怒り、悲しんだ。でもすべてが手遅れだった。
ポストと先輩の罠にはまったぼくは、その日のうちに辞表を書かされ、「一身上の都合で」長年勤めていた郵便局を退職した。