ひとは馴染みのない事柄の区別がつかない

もう10年くらい前のことになるが、あるクラシック音楽ファンと話をしているときに、ハイドンモーツァルト交響曲の区別がつかないと言ったら、「ええっ!」と驚きの声をあげられてしまった。
いや、でも、ほら、どっちも様式的にはほとんど同じだし、使っている楽器も同じだし、流れるようなメロディがあって心地よいハーモニーがあって、さほど激しいわけでもくて、いかにも貴族や上流市民が嗜む音楽という雰囲気があって……と共通点を並べ立ててみたのだが、件のクラシック音楽ファンにとっては「ハイドンモーツァルトは全然違う。少し聴いただけで違いがわかる」のだそうだった。「まあ、バッハとヘンデルの区別がつかないっていうならわかるんだけど……」
今度はこっちが驚く番だった。バッハとヘンデルの音楽は全然違うじゃないか。ヘンデルの音楽は器楽曲でも声楽的で、おおらかなメロディをのびやかに歌い上げる。他方、バッハの音楽は声楽曲でも器楽的で、小さなパーツをさまざまに変形しながら組み上げていく。そりゃまあ、バロック音楽特有の通奏低音書法など共通的も多いが、聴いてみれば違いは一目瞭然(?)だ。
で、この話をある人にしたところ「バロック音楽クラシック音楽ってどこが違うの? 一緒だと思うけどなぁ」と言われた。
結局、ひとは自分にとって馴染みのある領域の事柄について細かな差異がよくわかるが、そうでない領域の事柄は全部似たり寄ったりにしか認識できないということなのだろう。