シニカルと批判的は違う

統計はこうしてウソをつく―だまされないための統計学入門

統計はこうしてウソをつく―だまされないための統計学入門

近々九州へ行く予定だ。青春18きっぷムーンライト九州に乗り、部分廃止間近の西鉄宮地岳線に乗ってくるのが主目的だが、ついでに未だかつて一度も食べたことのない本場の長浜ラーメンを食べようと思っている。また、嬉野武雄観光秘宝館も訪れてみたい。
ふだん旅行前にガイドブックの類を見ることはほとんどないのだが、初めての場所を多く見て回ることになるので、今回はちょっと気分を変えて図書館で旅行ガイドを借りて下調べをすることにした。で、昨日、近所の図書館でついでに借りてきたのがこの本だ。もちろんラーメンとも秘宝館とも何の関係もない。
本の内容はタイトルが示すとおりだ。特に説明はいらないだろう。原著はアメリカの本なので、例に挙げられた統計にはあまり馴染みはなかったが、論旨は明快で楽しく読めた。
特に興味深かったのは最後の章だ。そこでは統計を解釈するアプローチの仕方によって人々が次の3つに大別されている。

  1. 素朴な人々
  2. シニカルな人々
  3. 批判的な人々

素朴な人々は統計を基本的に事実とみなし、そのまま受け入れる。シニカルな人々はそれに対して、統計はどうとでもなる信憑性のおけないものだとみなし、一般に信用しない。著者はこれら2種類の人々の統計へのアプローチの仕方を退け、第3のより優れた選択肢として批判的な人々の方法を推奨する。
「批判」という言葉にはいくつかの含みがあり、時には「非難」「拒絶」「攻撃」などの類義語として用いられることもある。いや、使用頻度だけでいえば、そのような用法のほうが主流ではないか。だが、ここで統計に対して批判的な人々のアプローチとして紹介されているのは、決して非難でも拒絶でも攻撃でもない。では、どういうものかというと……説明するのが面倒なので、じかに現物を読んでもらうのがいちばんだ。とはいえ、全く何も書かないのも申し訳ないので、ちょっと的を外しているかもしれないが、印象に残った一節を紹介する。


もちろん、批判的なアプローチをとるべき対象は統計に限らなくていいし、限るべきではない。社会問題について学ぶときはいつも、報道を見聞きしたり、演説を聴いたりして出会うすべての証拠に対してこのアプローチをとるべきだ。社会問題についての主張ではしばしば劇的で興味をそそる例が取り上げられる。批判的な人々は、それが典型的な事例か、極端な例外的事例が、そのどちらである可能性が大きいのかという問いを立てるかもしれない。また、社会問題についての主張にはしばしばさまざまな情報源からの引用が盛り込まれており、批判的な人々は、情報源がなぜそうしたことを語ったのか、何故引用されたのかを考えるかもしれない。
本当はもっと引用したいのだが、あまりやりすぎると著作権的に問題が生じるので、このくらいにしておく。統計に関心のある人にも関心のない人にもお薦めの一冊なので、もし書店や図書館などで見かけたらぜひ手にとってみてほしい。もっとも類書をこれまで一冊も読んでいない人ならまずは『「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ (文春新書)』からどうぞ。

おまけ2

嬉野武雄観光秘宝館については、次の各リンク先が参考になった。