ネタの生命力

瑞澤私設図書館の更新が突然途絶えたのは一昨年の夏のことだった。その後、同サイト管理人茗荷丸氏の行方は杳として知れない。
だが、氏の遺したネタの数々は今でも我々を魅了し続けている。たとえば、毎年この時期になると、「コミケがもし100サークルのイベントだったら」がニュースサイトなどで取り上げられる。今年も言及例が数件確認されている。元ネタの「世界がもし100人の村だったら」すらほとんど忘れ去られているというのに、これは驚異的なことだ。名作は時を超えて生き続けるということだろう。
翻って我が身を振り返る。さて、次世代に何か遺せるものはあるだろうか? 「安眠練炭」という名前が忘れ去られた後になっても、ネタそのものの生命力によって読み続けられるような文章を書いているだろうか? そう考えると暗澹たる思いに囚われる。
話は変わるが、昨日DVDプレイヤーを買ってきた。一昨日買ってきたDVDを見るためだ。3本のうち、まずは「キートンの大列車追跡」を見ることとした。
予想していたような「抱腹絶倒の大爆笑コメディ」とは違って、むしろまっとうなアクション活劇映画だった。クライマックスの、あの×××が燃えさかる×ごと×に××するシーン*1は圧巻だった。純粋に映像だけを見れば、もっと派手で人目をひく名場面は後の映画にいくらでもあるのだが、本物の×××を使って、本当に×に××させているのを知っていると、また違った感動がある。いい映画を見たものだ。

*1:有名な場面なので知っている人も多いと思うが、念のため伏せ字にしておく。