文系/理系/単純系

世の中には人の性格や思考パターンを「文系/理系」という枠組みで語りたがる人がいる。
この枠組みはもともと高等教育機関における学問や研究領域についての便宜的な区分のためのものであって、明治の頃にはそれなりに有益な区分だったかもしれないが、学問の専門化・複雑化が進むにつれて、このような二分法の限界も見えてきている。科学哲学は文学部なので文系、科学基礎論は理学部なので理系、などという分類にどれほどの意味があるだろうか? 自然地理学と社会地理学を分断するメリットはデメリットを上回るだろうか?
本来の意味での「文系/理系」ですら制度上はともかく実体はかなり怪しいものなのだから、この区分を人に適用するのは相当まずいことになりかねない。ごく控えめにいっても根拠に乏しい決めつけ、またはレッテル貼りの域を出ないし、下手すれば不当な社会的差別の温床ともなる。これはけっこう危険なことだ。
とはいえ、この危険性は「文系/理系」の区別が有効だと信じている人にはなかなか通じない。文系人間のイメージや理系人間のイメージに対する反例を挙げたところで、無視すべき例外事項とみなされる。でもって、文系/理系の区別はなんとなくそれらしいものとして温存される。なんか、この構図は血液型性格判断に似てるなぁ。
……と思っていたら、こんな記事を見かけた。

前者からリンクされている過去の記事には、文系/理系と血液型性格判断を並べた箇所があった。


血液型性格判断や星占いのように、広く信じられているが、その科学的な根拠が無いことは多い。他にも、理系・文系のように根拠がありそうで、実は血液型のように分類自体は科学的だが、それによる性格等との相関関係は明らかにされていない、つまり根拠の無いものがある。
また、後者では「文系理系性格判断」なるものが提唱(?)されている。最後の一文が面白い。

文系と理系の定義がどうなっているのかについて正確なことはわからないのですが、このような文系理系性格判断を信じている人は、理系ではないとして欲しいものです。
むろん、現実には自称「文系」人間のみならず自称「理系」人間の中にもぶん文系理系性格判断の信奉者はいるわけで、そのような人々はしばしば「理系人間は論理的/文系人間は感性的」などと平気で言っている。そのことを踏まえれば、この一文から痛烈な皮肉が読み取れる――またはこの一文に皮肉を読み込める――ことだろう。
ところで今思い出したのだが、星新一は理系で小松左京は文系だったそうだ。
この話題はあまりストレートに書くと敵を多く作ってしまうので、このくらいにしておこう。さて、抱き枕の梱包に戻ろう。そういえばこの抱き枕の製造元も理系だったっけ。