謎の郷土食「ぎせ焼き」を追う

というわけで、ぎせ焼きの謎を追うことにした。ただし、近所の図書館で1時間ほど調べ物をしただけで、最後まで謎の解明ができなかったことを予めお断りしておく。
さて、そもそもなぜぎせ焼きの謎を追うことになったのか? その理由を一から説明すると非常に長くなるので、適当に端折ることにしよう。


サインしてもらうための本を持ってきてなかったので、そのまま帰宅の途に。あれから何か面白いことがあったでしょうか。私、気になります。
すべてはここから始まる……というのは嘘だが、ともあれ、コメント欄で次のようなやりとりが行われた。

# trivial 『あれから面白いことがありました。
サイン会が終了したあとで、米澤氏が鞄から「あるもの」を取り出したのです。
一同、それを見て「おおっ」と感嘆の声をあげました。
誰も「それ」の実物を見たことがなかったのです。もちろん私も。
そして、その場にいた人々の大部分は今後の生涯で「それ」を見ることはないでしょう。
さてここで問題です。「それ」とは何でしょう?
ヒント
1.米澤氏の小説に登場します。
2.飛騨地方ではスーパーマーケットでふつうに売っているそうです。
3.名称は「犠牲」に由来します。』 (2006/06/18 16:02)

# kazenotori 『飛騨といえば「さるぼぼ」しか思いつきませんが…。オーストリア語では「犠牲」という意味があると信じて「グロック17」に100兌換マルク。』 (2006/06/18 19:48)

# trivial 『素直にこたえを書いておきます。「ぎせ焼き」でした。『クドリャフカの順番』で千反田えるが挑戦する幻の料理です。』 (2006/06/19 06:34)

# kazenotori 『ぎ、ぎせ焼き! ググっても9件しか出ないなんて、まさに幻! っていうか、「ぎせ」っていう魚を焼いた料理かと思ってました。なんとなく。』 (2006/06/19 07:26)

ついでに『クドリャフカの順番―「十文字」事件』の134ページから引用。

千反田さんの動きはますます冴える。豆腐を布巾で包んで絞り上げ、すり鉢にあけて、塩と砂糖を振り掛ける。フライパンが温まっている。いや、ただのフライパンじゃない、黒ゴマが油で炒められている。豆腐をすって、フライパンにまんべんなく。実況が叫んだ。
『おおーっと、チーム古典部、あ、あれはぎせ焼き! 泣かせます、泣かせますチーム古典部、中堅千反田!』
名前も聞いたことがない料理だよ……。
千反田さんは次に、じゃがいもの皮を剥き始めた。その間にもフライパンの中身をひっくり返し、俎板の上で皮が剥かれたじゃがいもが乱切りにされた直後、フライパンからは程よく色づいた豆腐が出てくる。その豆腐に包丁で切れ目を入れ、皿に。二品目完成。
砂糖の焦げた甘い匂いが、僕の鼻にも香ってきた。ゴマを炒った香りも。えもいわれない。こ、これはたまらない!
途中で出てくるじゃがいもは別の料理になるものなので無視すると、ぎせ焼きの作り方は以下のとおりとなる。

  1. 豆腐を絞り上げて水切りする。
  2. 水切りした豆腐に塩と砂糖で味付けして、すり鉢でする。
  3. すり鉢ですった豆腐(だったもの)を油で炒めた黒ゴマとともにフライパン(のような鍋)で焼く。
  4. 焼き上がったときには、(少なくとも遠目には)豆腐に戻っている。

で、問題は、なぜこの料理が「ぎせ焼き」と呼ばれるのか、ということだ。なんでこれが「犠牲」なんだ?
もしかすると、昔、飛騨地方に誰かの犠牲になって死んだ人がいて、その遺徳を忍んで「犠牲焼き」という名の料理が生まれ、それが転じて「ぎせ焼き」になったのかもしれない。「もしかすると」を頭につければたいていのことは言える。
ちょっと気になったので調べてみることにしたのだが、ネット上の情報は全然役に立たないので図書館に行くことにした。いや、それは話が逆だ。今日の日中に暑さをしのぐために図書館に行って、ついでにぎせ焼きのことを調べることにしたのだ。
聞き書 岐阜の食事 (日本の食生活全集)』という本を開くと、41ページ*1に「ぎせ焼き」の項があった。


ぎせい焼きともいう。豆腐五丁はゆでてふきんに包んでしぼる。三丁は生のまましぼって赤砂糖、少々の潮を入れてすり鉢でよくする。両者を混ぜ、黒ごまを散らして油をたっぷりひいた銅製のぎせ焼きなべに、まんべんなく広げてふたをする。ふたの上にもおき火をのせ、上下から火を通す。甘いような香ばしいにおいがただよってくると、もうたまらない。
少し作り方が違うが、これが『クドリャフカの順番』で千反田えるが作ったものと基本的に同じ料理であることは間違いない。その証拠に、焼き上がりの香ばしい匂いがたまらない、という重大な共通点がある。
この項にはぎせ焼きとぎせ焼きなべを並べて撮した写真が添えられている。ぎせ焼きなべは四角い蓋つきフライパンといった感じで、ぎせ焼きはゴマ入りの厚焼き卵に似ている。写真には「子どもも好きな甘いぎせ焼き」とキャプションがつけられている。どうも子供のおやつのようだ。ホットケーキ感覚で食べるのだろうか?
記事の続き。

盛り出し(大皿盛り)用は大きめに、小手塩(小皿)にとるときは小さめに切り分けるが、その切れ端をもらいため、子どもたちはひなたを囲んで動かない。
「ひなた」は、文脈から考えて「日の当たる場所」という意味ではないと思うが何のことかはわからない。たぶん別のところに説明があったのではないかと思うが、本そのものを借りてこなかったので、今は参照できない。「おき火」などという言葉も使われているので、もしかするといろりのことだろうか?
それはともかく、「ぎせ焼き」の項はこれでおしまい。語源の説明はなかった。
続いて、『日本料理由来事典 上(あ〜し)*2を開いてみた。ローカルな郷土食だけに載っているかどうか……あ、やっぱり「ぎせ焼き」はない……ん? 似た料理があるぞ。

ぎせいどうふ 擬製豆腐、義性豆腐、義省豆腐
精進料理の一種で、豆腐を使った料理。一度くずした豆腐をもとの形にまねて作るところからこの名がついたといわれるが、『俚言集覧』(一九〇〇)には、江戸山王勧里院の僧正、義性がこの豆腐を考案したからとある。また一説には奈良県円照寺の義省尼が作った料理であるところからついた名前ともいわれる。
『料理早指南』四編(一八二二)にぎせい豆腐は「とうふくずし水をさり 酒 しょうゆにてよくいりて切溜のふたにもりあがるほどに入 上より一ぱいのおしふたをして さかおしにかければ に汁しぼれてふたのあつさにかたまるを うちあけ 壱寸余の角にきりて焼なべにて片めんやく也」とある。
現在の擬製豆腐は、豆腐のほかに、ゴボウ、ニンジン、シイタケ、キクラゲなどの細切りや卵を加えて焼くか、蒸す。豆腐はいったん形をくずして水気をきり、味付けをしたり、他の材料を加えて調理し、再びもとの形にもどしたものである。
どう見てもこれはぎせ焼きと同じ料理に思われる。あわてていくつかの豆腐料理の本を開いてみると、そのほとんどに「ぎせい豆腐」が載っていた。
飛騨地方の郷土食「ぎせ焼き」と精進料理の「ぎせい豆腐」が同じルーツをもつと断言した本はなかったが、名前に著しい類似があり、作り方もよく似ているとあっては全くの偶然と考えるほうが不自然だ。ということは、「ぎせ焼き」の「ぎせ」とは「犠牲」ではなく「擬製」または人名だということになるだろう。
これで一件落着。
……とはならなかった。
ぎせ焼きが思っていたよりもポピュラーな料理だとわかったので、国語辞典にも載っているかもしれないと思い、念のために『日本国語大辞典〔第2版〕4 きかく~けんう』で調べてみたところ……

ぎせい−どうふ【擬製豆腐・義性豆腐】[名]
精進料理の一種。豆腐に卵、野菜などをまぜて蒸したり焼いたりしたもの。ぎせどうふ。ぎせい。*3
ぎせい−やき【義清焼】[名]
魚肉料理の一種。魚のすりみにヤマノイモ、卵白、塩などをまぜ、四角に形づくって、ごま油で焼いたもの。*料理早指南(1801-04)四「名目のやきものの部<略>義清(キセイ)やき すりみに山いも玉子の白みしほ入てより、四角によせてなりづくり、焼なべにごま油引てやく也」

むむむ。豆腐と魚の違いはあるが、「義清焼」というものもかなりぎせ焼きに似ている。で、こんな想像をしてみた。
はじめに義清焼があった。これは魚料理だった。魚は生臭で僧侶が食することができないので、その代わりに豆腐を使った精進料理、ぎせい豆腐が江戸または大和で誕生した。一方、同じ義清焼が飛騨にも伝わった。飛騨ではすり身に適した海の魚が調達できないので、その代わりに豆腐を用いた。これがぎせ焼きの起こりである。
別にこんなややこしい状況を想定する必要はないのだが、いちおう可能性として挙げてみた次第。
混迷が深まったところで、「ぎせ焼き」の謎探求は打ち切り。後のことは誰かほかの人に任せることにする。我こそは、と思う人はぜひ続きを調べてもらいたい。

*1:「古川盆地<国府>の食」というコーナーだった。岐阜県の地理に疎いので、これがどの辺りの地名なのかは知らない。

*2:これは、はまぞうにデータがないので、国会図書館の書誌データにリンクしておく。

*3:この後、俚言集覧からの引用が続くが、書き写すのが面倒なので省略する。