電車の席はみな優先座席

昨今の若者の道徳心の欠如を天帝は怒り、そして嘆いた。
「ああ、儂の若い頃だったら、老人が電車で立っていたら若者はみな進んで席を譲ったものなのに」
天帝の若い頃に電車があったのかどうか、あるいは天帝に若い頃があったのかどうか、筆者は知らぬ。知らぬものは書きようがないので、このまま話を進めることとする。
ある日、天帝は法力をもって長幼の序を辨えぬ不届きな若者どもを罰しようと思い立った。天帝曰く、「敬老の心を持たぬ者どもよ。それならよい、貴様らを老人にするまでだ」そして事は実行された。日本全国の電車で、老人を立たせて自らは座席に腰掛ける若者たちが一斉に年老いた。
これぞ、天罰! 思い知るがよい。老人たちは拍手喝采した。
だがしかし、折しも日本は少子高齢化の真っ最中であったのだが、天帝の罰はそれに拍車をかけるものであった。政治は混迷し、経済は低迷し、文化に暗雲が立ち籠めた。
ここに一人の賢人現れて天を仰ぎ、大音声を張り上げた。
「天帝よ、天帝よ。優先座席は老人の独占に非ず。障碍者と妊婦もまた優先されるべきものなり」
天帝は賢人の言葉を聞いてそこに一理を見出した。「では、障碍者に席を譲らぬ者には障碍を与え、妊婦に席を譲らぬ者には子を授けよう」そして事は実行された。
賢人の指図により予め電車には大勢の妊婦が乗せられ、吊革を持って立たされた。そして、妊婦の前に座る者はみな妊娠した。女は妊婦となり、男は妊夫となった。その数、およそ百二十五万人であった。また巧妙な輿論の操作により、障碍者は電車に乗らぬよう、乗せぬようにし向けられていたため、天帝の罰で新たに障碍を得た者はわずか三十六人に過ぎなかった。
さて、その後。電車内で妊娠した者のうち妊婦は月満ちて子を産んだ。妊夫も子を産んだ。おそらく相当下世話な手法によったものと思われるが、史家はその方法を今に伝えていない。