17世紀の避妊

 ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンの妃ムムターズ・マハルは、14人もの子供を産み、36歳のときに産褥死しています。シャー・ジャハーンは彼女を熱愛し、皇帝でありながらほかの女性には興味を示さなかったとか。

 ぼくはこの話を聞いて、「14人も産むなんて大変だなあ。そんなに彼女が好きならちゃんと避妊しろよ、シャー・ジャハーン」と思っていたんだけれど、彼女のほうも産みたかった可能性もなくはないですよね。

文章全体の趣旨とは全然関係ないのだが、この箇所を読んで17世紀初頭にどんな避妊法があったのだろうと疑問に思った。確かコンドームは紀元前からあったはずだが……。

この物品の起源は、紀元前3000年頃の初期エジプト王朝にあると言われており、ブタやヤギの盲腸や膀胱を利用して作られていた。ただし当時は男性生殖器を虫刺され等から守るための下着の一種として日常的に装着したものであるため、今日のコンドームのような避妊を目的とした物ではないとされる。【略】なお、今日のコンドームの原型となったのはチャールズ二世殿医のドクター・コンドーム(人名)が1671年に牛の腸膜を利用して作った物であるとされている。

……避妊具じゃなかったのか!
シャー・ジャハーンの時代のインドにはたぶん基礎体温計はなかっただろう*1し、荻野久作はまだ生まれていない*2し、ピルは解禁になっていなかっただろう*3し、外科手術をすれば痛かっただろう*4し、せいぜい膣外射精くらいしかできなかった*5のではないだろうか。
そもそも、当時のインドにバース・コントロールという考え方があったのだろうか? 調べたことはないが、きっとそんな考えはなかったはずだ。だって、日本にこの考えが入ってきたのもほんの数十年前のことだったのだから。吉原の遊女なんかは別だけど、夫婦間だと子供は人智を超えた天からの授かりものだから「貧しいから」とか「母胎がもたないから」というような理由で避妊したり中絶したりする発想はなかったのでは?

*1:インド以外の国にもなかっただろう。

*2:夢野久作もまだ生まれていない。

*3:禁止されてもいなかっただろうが。

*4:シャー・ジャハーンが死んだとき、華岡青洲はまだ幼児だった。

*5:膣外射精は避妊法のうちに入るの?