田代裕彦をミステリ・フロンティアへ!

赤石沢教室の実験 (Style‐F)

赤石沢教室の実験 (Style‐F)

7月初頭のこと。ミステリの読みに関しては的確無比な知人に会ったとき、ちょうど出たばかりの『赤石沢教室の実験』の話が出た。その知人は「まだ読んではいないんですが、あれはダメですね」と断言した。読んでいないのにどうしてそんなことがわかるのだろう?「だって、あれって『赤朽葉家の伝説』より長いんですよ!」
なるほど、と納得*1した。長い小説は苦手だ。これはやめておこう、と思った。
だが、その後『赤石沢教室の実験』よりさらに長い『インシテミル*2を読んで、「これだけの長さでも読み通すことができたのだから、『赤石沢』も大丈夫かも」と思い直し、うずたかく積まれた本の山*3から発掘して、つい先ほど読了した。
で、感想を一言でいえば、見出しのとおりだ。東京創元社はぜひ田代裕彦を迎え入れて、ミステリ・フロンティアで書かせるべきだ。
以下、雑感。
冒頭で触れた知人の言葉のとおり、やはりこの小説の長さは欠点だと思う。サスペンスがあって読みやすく、途中で中だるみをすることはないのだが、全体を読み終えたあとで振り返ってみると、長さに比して内容が乏しく、やや不満が残る。この半分、というのは酷かもしれないが、600枚程度に抑えていれば、もっと密度の濃いものに仕上がっていただろう。
作中の仕掛けは、目次を見ただけですぐわかる種類のもので、あとはその仕掛けがどのような仕方で具体的に実装されているのかを確認することになるのだが、その作業はなかなか楽しいものだった。結論からいえば、大筋では予想どおりだったが、細かいところでいくつか読みを外してしまった。365ページ14行目はずるい*4よ。
で、何で田代裕彦ミステリ・フロンティアで書くべきかというと。
『赤石沢教室』には作者のセンスのよさとミステリ的構想力の豊かさが大いにあらわれているが、その一方で、仕上げ段階で少しゆるんでしまっているところがあるように思われる。それは、この小説の長さにも通じるところなのだが、ミステリに通じた有能なディレクターの適切なアドヴァイスがあればより完成度が高まったはず。富士見書房の編集者が無能だというつもりはさらさらないが、特殊文芸であるミステリ編集にかけては、やはり専門家にかなわないだろう。
というわけで、重ねていうが、ぜひ田代裕彦ミステリ・フロンティアへ!

*1:もちろん『赤朽葉家の伝説』より長い良作はいくらでもある。『赤朽葉家の伝説』より長いとダメだというのは、いくつかの条件を暗黙のうちに前提としたものなので、その前提を共有していない人には納得できないだろうが、あまり深くつっこまないでほしい。

*2:ざっと計算したところ約80枚くらい長い。

*3:読まないことにしたはずなのに、なぜか買ってしまっていた。これだから積ん読がいつまで経っても解消できないんだ!

*4:アンフェアだということではない。