モノグラフの時代

ライトノベル系には以前に「モノグラフ」というライトノベル専門のニュースサイトがあったのだが、それが更新停止されて幾年という状況。それ以来、ライトノベル系ニュースサイトはいくつか出てきたが、かつての「モノグラフ」が活動していたようなラインでのモノは出てこなかったし、「モノグラフ」ほど大きな存在にならない状況が今現在まで続いている。時々出てくるアーサー王帰還伝説のような「モノグラフ」復活希望やラノベニュースサイト待望論は、そんな状況があったから囁かれる。

モノグラフの更新が低調になったのは2005年秋くらいだったと思う。最終更新日は2006年1月5日だから、もう2年以上前のことだ。モノグラフの自由帳のほうも2006年5月21日を最後に更新が途絶えている。中の人は今でも生きている*1ようだが……。
上の記事の最後のほうで書いたことだが、最近、ライトノベル界隈がなんだか窮屈になってきている感じがする。といっても、ライトノベルが衰退した、というのではない。話はもうちょっと複雑だ。
2004年頃、ライトノベルの「発見」*2が進んでいた時期には、これまで世間的にはほとんど注目されていなかったライトノベルに関して、予想もしていなかったような新しい話題が次から次へと出てきて、「何でもあり」の自由な世界がそこには開けているような、そんな開放感というか解放感のようなものがあった。だが、その後、急速に制度化が進み、面白いニュースがあまりなくなってしまった*3。思えば、ニュースサイトとしての「モノグラフ」*4の活動が活発だった時期は、ちょうど「ライトノベル」に得体の知れない不定形のパワーがあった時代に重なるのではないか。すべてが流動的で、何が起こるかわからなくて、なんだかどきどきするような盛り上がりのあった、そんな時代だ。それを「モノグラフの時代」と呼ぶことにしよう。
「モノグラフの時代」は過ぎ去った。今も新しい何かが生まれ続けてはいるだろう。だが、その中心にあるのは、もはやライトノベルではない。ライトノベルは飼い慣らされ、囲い込まれてしまった。今あるライトノベル系ニュースサイトがあまりぱっとしないようにみえるのは、各サイトの管理人の力量が草三井氏に劣っているからではなく、時代が変わったからではないか*5
最後に、「モノグラフの時代」の証言をひとつ紹介しておこう。

トータルで8分50秒あるが、「モノグラフの時代」の話題*6は2分50秒あたりから3、4分程度なので、そこだけ聞けば*7「モノグラフの時代」の雰囲気の一端がある程度掴めると思う。

*1:ここを参照。

*2:この用語は微妙な含みをもっているが、詳しく解説すると長くなるので、省略。以前、こんな文章こんな文章を書いているので、興味のある人はそちらもどうぞ。

*3:手前味噌で恐縮だが、早くも2005年8月にライトノベルの「発見」はそろそろ打ち止めとか言っている。

*4:「モノグラフ」はもともと創作系サイトだったらしいが、その後、書評サイトを経て、現在ログが残っている2004年4月には既にニュースサイトとして確立していた。

*5:と言いつつ、草三井氏のジャーナリスティックなセンスには余人に変えられないものがあったような気もする。

*6:とらのあなだったか、まんだらけだったか」と言われているのは、「まんだらけ」ではなく「とらのあな」のほう。「とらのあな」に行った5人の中で1人だけ名前が挙がっていないのはこの人

*7:もちろん全部聞いても全く問題はない。