ライトノベル作家の「越境」とは?

 こうした事実からして、三雲氏もまた「越境作家」のひとりであるということが十分に言えると思います。しかし、あくまで私の印象ではありますが、桜庭一樹有川浩橋本紡壁井ユカコといった作家に比べて、ライトノベル読者からの三雲氏への注目は、非常に小さいように思います。少なくとも、上記のような極めて早い時期に「越境」を果たしていたというのは、十分注目に値する事実であるにもかかわらず。

そうなってしまった原因は、結局のところ、当時はまだ「ライトノベル」というものを総体としてとらえるという視線が、読者の側にも備わっていなかったからなのだと思います。それでも十分な(それこそ直木賞を受賞するほどの)実績を上げていれば別だったのでしょうが、残念ながらそうはならなかった。結果、三雲岳斗は十分な実績を上げておきながら、越境作家のひとりに数えられることが少ない、という何とも言えない立ち位置に立たされることになりました。これがあと2、3年遅ければ、恐らく上記に挙げたような越境作家と同列に語られていたのではないでしょうか。

三雲岳斗の小説は読んだことがない。『海底密室 (徳間デュアル文庫)』が出たときに面白そうだったので買ったのだが、読まないうちに本の山に埋もれてしまい、それっきりになってしまった。新作が出るたびに手にとってはみるのだが、「これを買うより、まず『海底密室』を読むほうが先だろう」と思い直して本を棚に戻してしまう。その繰り返しで、今に至る。
そういうわけで、三雲岳斗の作品の傾向については何も言えないのだが、出版界における三雲岳斗のポジションについてはぼんやりとしたイメージを抱いている。あまり「越境作家」という感じがしない。なぜ、「越境作家」という感じがしないのか、としばらく考えて思い当たることがあったので、「うさ道」のコメント欄にこんなことを書いた。

trivial 2008/01/19 05:51
いわゆる「一般文芸」寄りの人々にとっては、ライトノベルもSFもミステリもホラーも伝奇小説もみな似たようなものと認知されているきらいがあります。発表媒体という面からみれば「ライトノベル/非ライトノベル」の違いは比較的明瞭ですが、それとは別に「一般文芸/一般的ではない一部の読者向け小説」というような暗黙の区別があって、その線を越えないと「越境」とみなされないのではないかという気が最近してきました。

宇佐見氏の返答は次のとおり。

USA3 2008/01/19 12:08
>安眠練炭さん
そもそも「越境」という言葉自体、ライトノベル系作家が非ライトノベル方面へ進出していく現象を「ライトノベル読者の目から見て」表現した言葉だと思っています。そうした視点からは、「越境」したかどうかは発表媒体という形で明確に判断できるように思います。もしそこに「『一般文芸』寄り」の視点を持ち込むのであれば、また異なる「越境」の概念が必要になってくるのではないかと。

あれ? ちょっと首を傾げた。
「越境」というのは、マスコミ関係者が言い出した言葉ではなかっただろうか?
すぐに思い浮かんだのは、ライトから一般向けへ 人気作家の“越境”続々 : 出版トピック : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)だ。この記事が最初ではないにしても、ライトノベル作家の「越境」という現象が広く知られたきっかけのひとつであることは間違いはない。
だが、もしかすると、「越境」は宇佐見氏が主張するように、もともと「ライトノベル読者の目から見て」表現された言葉だったのかもしれない。もうちょっと調べてみよう。
で、行き着いたのが、なんとのべるのぶろぐだった。「本よみうり堂」の記事の半年前に「越境」という言葉を使っている。

  1. 「越境」するライトノベル:序章 (のべるのぶろぐ 2.0)
  2. 「越境」するライトノベル:第一章 (のべるのぶろぐ 2.0)
  3. 「越境」するライトノベル:反応メモ (のべるのぶろぐ 2.0)

これが、この話題領域における「越境」の初出だという確証はないが、

 この「ライトノベルブーム」、あるいは「ライトノベル批評本ブーム」という潮流の中で、何が起こっているのか。

 それはライトノベルの、一般文芸への進出である。ラノべって興味はあるけど、あの表紙はちょっと…という小心な人々の為に、ラノべは一旦その象徴たるイラストを脱いで、密やかに一般文芸の世界に紛れ込み始めたのである。

 私はこの一連の現象を「越境」と名付け観察を続けた。

この書きぶりを見る限り、少なくともゐんど氏は何か別の典拠に基づいて「越境」という言葉を使ったのではないようだし、この記事のコメント欄でのやりとりなどを見ても、みんなゐんど氏が初めて使い始めた言い回しというふうに捉えているので、他の史料*1が発見されるまでは、暫定的にゐんど氏が「越境」の提唱者であるという前提で話をすることにしよう。
さて、ゐんど氏がライトノベル読者であるということ*2は言うまでもない。従って、「越境」という言葉はライトノベル系作家が非ライトノベル方面へ進出していく現象を「ライトノベル読者の目から見て」表現したものだという宇佐見氏の主張のほうが正しいことになる。ま、負けた……。
いや、まだだ。
まだ負けを認めるのは早い!
今、引用した箇所をよく読んでいただきたい。ここで「越境」したと言われているのはライトノベル作家ではない。ライトノベルそのものだ。
「越境」とは、「何か」が「何か」と「何か」の間の境目を乗り越えることを指す。2008年1月現在、ライトノベル界隈では、「作家」が「ライトノベル」と「一般文芸」の間の境目を乗り越えることを「越境」と呼び、それを果たした作家のことを「越境作家」と呼ぶのがもっとも一般的な用法だろう。
しかし、2005年10月のゐんど氏の用法では、「越境」は全く別の現象を指す。それは、「ライトノベル」が「文壇の異端児」と「一般文芸」の間の境目を乗り越えるという現象だ。
「文壇の異端児」という表現はややわかりにくいかもしれないが、「一般の読者が見向きもしない、一部の読者だけの読みもの」という意味だと理解しておこう。少しニュアンスが違うかもしれないが、議論の大筋には影響はないはずだ……たぶん。
ゐんど氏がいう「越境」とは、外からの圧力により、小さな檻に閉じこめられていたライトノベルが、その檻を打ち壊して広く世間に自らの存在を知らしめ、不当な囲い込みを排除して多くの読者に受け入れられつつある、という認識によるものだったのだろう。あるいは、そこには多少の希望的観測が混じっていたのかもしれないが。
さて、その後の歴史はどうだったか。
なるほど、これまで外部には不可視だったライトノベルは、いまや全く無視できないものになってはいる。だが、「越境」という言葉が読み替えられることによって、「ライトノベル=特殊文芸/一般文芸」という垣根がかえって強調されるという逆説的な事態も生じている。作家が垣根を越えるとき、垣根の内側にライトノベルは取り残されるのだ。ライトノベルの「発見」が一段落した今、ほんの数年前には大きなうねりとして感じられた既成の枠組みの揺らぎはすっかり影を潜め、文芸マップのごく一部にこぢんまりと位置づけられた領域に「ライトノベル」というレッテルがべったりと貼られたままになっているのではないか。漠然としたイメージで言っていることだから、説得力のある根拠を示すことはできないが、制度化された「ライトノベル」の世界は、この言葉が一般化する前よりも、より窮屈なものになっているような気さえする。
その「窮屈さ」の主因は出版業界や文壇などの固定観念に求められようが、読者の側にもあるのではないだろうか?
あなたはライトノベルと一般文芸の間に壁を作って選別してはいませんか?

追記

初出かどうかは定かではないけど…… - CAXの日記(Group::Lightnovel) - LightNovel Groupで、旧「このライトノベルがすごい!」の往復書簡「ライトノベルと児童文学のあわい」時海結以・くぼひできで「越境」という言葉が使われているという指摘があった。読んでみると、児童文学からライトノベルや大人向け小説への「越境」の話で、いま話題にしているのとは前提が違っている。しかし、「特殊文芸の作家がその垣根を越えて一般文芸へと進出する」という現象のことを「越境」と呼んでいるのだから、広くみればライトノベルからの「越境」と同じ枠組みによるものといえるかもしれない。
では、このような広い意味での「越境」を「ライトノベル=特殊文芸/非ライトノベル=一般文芸」という枠組みに適用して語るようになったのはいつ頃なのかということが気になる。ご存じの方はぜひご教示ください。

*1:史学科出身のゐんど氏に敬意を表して、ここでは「資料」ではなく「史料」と言っておく。

*2:ライトノベル以外の小説もかなり読んでいるそうだが。