巌流島はどこですか?

漂流巌流島 (ミステリ・フロンティア)

漂流巌流島 (ミステリ・フロンティア)

近頃ミステリはほとんど読まなくなっているのに、この本を読んだ理由はただひとつ。

何でも撮る監督に小器用なシナリオライターの会話で武蔵と小次郎の厳流島決闘の真相を読み解く表題作を読んだときには、『愛と青春のサンバイマン』(藤井青銅)を大人っぽくした雰囲気、と感じたんですが、今回の連作の展開もまさにそう。

名作『愛と青春のサンバイマン』に似ているのなら、これもきっと面白いに違いない。そこで手を出してみた。
……いや、これ『愛と青春のサンバイマン』とあんまり似てませんよ?
似ている先行作品といえば、やっぱり上の引用文のすぐ後でも言及されている『邪馬台国はどこですか?』だろう。ただし、『漂流巌流島』のほうが史料の引用や参照が多く、やや重くなっている。気楽に読めないほどではないが。
歴史上の事件の謎を解くというスタイルのミステリは概してふたつの問題を抱えているように思う。

  1. 現実世界の謎をフィクションの世界に持ち込んで解決させるべき積極的な理由がなく、「小説仕立て」の域を出ない。
  2. 推理によって得られた解決の「答え合わせ」ができず、結局「一つの解釈」として提示するだけの締まらない結末になってしまう。

長篇小説だとさまざまな工夫によりこれらの問題を回避したり、緩和したりすることも可能だが、『漂流巌流島』のような連作短篇集*1では、プロットに捻りを加えて対応するだけの余裕がないため、これらの問題はそのままにして着想の面白さで押し切るしかない。それをどう評価するかは読者次第ということになるだろうが、個人的には着想の面白さだけで退屈せずに十分楽しめたので、よしとしたい。

*1:ひとつひとつの作品は短篇というには少し長くむしろ中篇と呼ぶべき長さだが、短篇小説の作法で書かれている。取り上げられている事件についてあまり知識のない読者でも読めるように、巷間に流布した伝承を丁寧に紹介しているために長くなっているが、これはまあ仕方がないところだろう。都筑道夫なら、読者が講談や歌舞伎に親しんでいることを前提にして短くまとめただろうが、もはやそのような時代ではない。