雪山シーンの意味がよくわからんかった

ふとした気の迷いで映画「容疑者Xの献身」をみてきた。原作はハードカバーの初版*1で読んだが、ずいぶんと前のことなので内容は半分くらい忘れていた*2。ラストシーンってあんな感じだったかなぁ、とか、柴咲コウの演じている役って原作にあったっけ、とかそんなことを考えながら、それなりに楽しくみましたとさ。
余談だけど

最後の最後まで”容疑者Xが惚れているのは実は娘の方”という幻想を抱き続けたままスタフロールを迎えてしまった僕は、このもやもやとした鬱屈をどこに向ければ良いのだろう・・・・・・

これは確かに成立する解釈だと思った。
実は、日本ミステリ史上に残るであろうあの「容疑者X論争」*3の際に、原作に対してこの解釈が成り立つかどうかということも争われた*4が、結局、作中のいくつかの記述がこの解釈と相容れないものであったらしく、いつの間にかこの解釈は廃れてしまったらしい*5
しかし映画版では、少なくとも一度みた限りでは、この解釈を退けるべき明確な決め手となる要素は見あたらなかった。ということは、この映画は、最後の最後まで真実が完全に確定しない、一種のリドルストーリーとしてみることも可能だろう。
あ、余談のほうが長くなってしまった。

追記

削除されてなくなっていたと思っていたX論争黙示録がまだあったそうだ。ああ、何ということでしょう!

*1:指紋がべたべたつく奴。不愉快なので読後に古本屋に売った。

*2:でも、さすがにメイントリックは覚えていましたよ。ええ、ミステリファンにとっては何の引っかけにもなっていない例のアレは。

*3:「あの」と書いたが、たぶんミステリファン以外の圧倒的大多数の読者はそんな論争があったことすら知らないだろう。それでいい。以前、ここにまとめ記事があったが、サイト移転に伴い削除されたようだ。それでいい。

*4:もちろん、この解釈の是非が「容疑者X論争」の焦点であったわけではない。この論争の底知れぬ闇は別のところにあった。

*5:ちゃんと論争を追っかけていなかったから、記憶違いがあるかもしれないけれど。