痛恨の読書感想文

ある時、『○○○○』*1を読んで、読書感想文を書いた。その小説は面白いのにあまり読まれていないように思った*2ので、未読の人に読んで貰いたいと思い、それなりに気合いを入れて書いたつもりだったのだけど、そのすぐ後に某氏と雑談をしている時に「ところで、『○○○○』って本当に面白い? あの感想文見た感じだとあまり面白くないのを無理矢理面白そうに紹介しているという感じだったんだけど……」と言われてしまった。
実を言えば、『○○○○』は確かに非常に面白い小説ではあるのだけれど、事前に期待していた路線とは違っていて、やや拍子抜けしたところがあった。しかし、拍子抜けしたのは勝手な思いこみのせいだから、小説そのものの面白さとは関係がない。そう割り切って感想文を書いたはずなのに、読んでいる時に感じた「拍子抜け感」が感想文に滲み出ていたようだ。それを某氏に見透かされてしまったのは痛恨事だった。
自分の感じたことをそのまま書く感想文とか、読んでつまらなかった本を貶す感想文を書くのは簡単だが、未読の人に本を紹介して興味を持って貰うための感想文というのは非常に難しくなかなか成功しない。そんな事は前から知っていたはずだが、この某氏との会話でことさら実感し反省したことだ。
それから月日が流れた。反省したわりにはあまり上達はしていないけれど、今でも読書感想文を書き続けている。必ずしも未読の人への紹介ばかりではないけれど、最近だと、しみじみと面白くて、ときどき意表を衝かれる傑作『たま◇なま』なんかは、とにかく一人でも多くの人に読んで貰いたいという気持ちを前面に出すことを心がけて書いた文章だ。ここからリンクされているのを知り、ある種の感慨とともに、かつての痛恨の一幕を思い出した次第。

*1:小説のタイトル。いちおう伏せ字にしておく。字数も関係ありません。

*2:実際にどの程度売れているのかは知らないが、ネットのラノベサイト界隈ではあまり言及されていなかった。