地味で派手な傑作『炎に絵を』

陳舜臣の作品は江戸川乱歩賞受賞作の『枯草の根』とあと1冊*1を大昔に読んだことがあるきり*2で、どちらも「悪くはないけど地味」という感想を抱いたことしか覚えていない。近頃すっかりミステリから遠ざかっているので、本来ならそのままスルーするはずだったのだが、何かの手違いで手に取ってしまった。
まず冒頭に収録された短篇*3「青玉獅子香炉」を読んで感心した。辛亥革命から日中戦争を経て戦後の戦後に至る激動の時代を背景に、一人の職人の妄執を描いた作品だ。この作品で直木賞を受賞したそうだが、なるほどこれなら賞をとってもおかしくないと思わせる。ただし、ミステリ的な興味を惹く要素はほとんどない。
次に収録された短篇「永臨侍郎橋」は打って変わって馬鹿馬鹿しいほどの物理トリックを用いた怪作だ。もっとも、これもミステリ的観点からすればかなりの不純物が混じっていて、一見するとまともな小説に見える。このアンバランスさが面白かった。
そして、いよいよ真打ち、表題作の『炎に絵を』に取りかかった。これが傑作だという評判はずいぶん昔に聞き知ってはいたが、たまたま当時は本が入手しづらかった。その後、出版芸術社から『炎に絵を (ミステリ名作館)』が出たが、その頃にはミステリに関する興味をかなり失っていたので、手を出さずにいたのだ。たまたま何かの弾みで今回の集英社文庫版に手を伸ばさなければ、このまま生涯この小説を読まずじまいだったかもしれない。究極的には人生に損得などないので、『炎に絵を』を読まずに死んだからといって人生を損したということにはならないだろうが、それでも『炎に絵を』に巡り会えたのは非常に素晴らしいことだったと思う。
『炎に絵を』には、ある種の大トリックが用いられている。それがどのような種類のトリックなのかをここで書くだけでも未読の人の興を大幅に殺いでしまうことになるので書けない*4が、とにかく大胆不敵で無茶苦茶なトリックだった。序盤から事件の種らしきものが何度も現れて緊張感を高めているため決して退屈はしないのだが、しかしやはり全般的に地味な雰囲気であることは否定できない。その中でとことん派手な花火を打ち上げるための導火線をしっかりと仕込んでいるのだから、その技巧とたくらみの深さには驚嘆する。
この本のオビによれば「陳舜臣推理小説ベストセレクション」は今後3ヶ月おきにあと2冊出る*5ようだ。第2弾の『枯草の根』の表題作は上で書いたとおり既読だが、図書館で借りて読んだ本なので手許にないし、今ではすっかり内容を忘れてしまっているから、この機会に読んでみるのもいいかもしれない。子供にはわからなかった面白さを発見できるかもしれないし。そして、さらに興味を抱いたら第3弾『玉嶺よふたたび』も読むことにしたい*6

*1:今となってはもうタイトルすら忘れてしまったミステリ短篇集。チャップリンが出てくる短篇が含まれていたことだけ覚えている。

*2:現在、陳舜臣の名前から多くの人が連想する中国を舞台にした歴史小説は1冊も読んだことがない。

*3:というには少し長いので、中篇というべきかもしれない。

*4:この書き方だけで勘づく人もいるだろう。ごめん。

*5:もしかしたらまだ続くかもしれない。

*6:もっとも、来年のことはわからないから、結局手を出さずにスルーするかもしれない。