やっぱり「限界集落」は都市対農山村の問題だと思う

限界集落の問題は都市対農山村の構図で語られがちだが、それは自分たちではない誰かの責任にしたい農山村と、美しき村という幻想を見たい都市の両方にとって心地好いためだろう。

いわゆる「限界集落」問題は、ここ数十年間続いてきた農山村の過疎化(と都市の過密化)という現象がいきつくところまでいきついたことを示している。現に都市対農山村という構図があるから、その構図で語られるだけのことで、別に農山村の責任転嫁や都市の田舎幻想のせいで事実に反する構図が持ち出されているわけではない*1
ところで、集落の再編について「過去においては行われていた」とか「かつては限界を迎える前に集落の住民が自ら再編していた」とか書かれているが、これはちょっとピンとこない。高度経済成長期以前、すなわち農山村の過疎化が激化する前にも廃村や集落の消滅といった現象はあったし、中には集落共同体を保持したまま集団離村した例もあったかもしれない。しかし、少なくとも明治以降の日本において、人口減少した集落の住民どうしが自主的・意識的に再編を行うというトレンドがあったという話は聞いたことがない。
繰り返し書いているくらいだから、たぶん実例を念頭に置いているのだろうと思うが、そのような例が相当数あるのなら、そこから集落再編の秘訣やコツのようなものを抽出して現在の問題にも応用できるかもしれない*2ので、ぜひご教示いただきたい。

追記

もうひとつ疑問点が見つかったので、ついでに書いておく。

集落自身が自らの問題として捉えるならば、共同体の維持が不可能になる前に自らの手で再編を行うべきだった。それは事実、過去においては行われていた。硬直的になり、適切なサイズに再編することを怠ったまま放置した結果が現状である。

都市の責任は確かに大きい。都市は農山村から労働力を吸い上げ、農林業も成立し得なくしてきた。しかし、集落が自らの手で解決すべき自治問題すら放置してきたことは、いくらなんでも集落自身の責任と言うほかない。

ここで、「集落自身」とか「自治問題」という言葉が用いられていることから察するに、個々の集落を自立的/自律的な責任主体に擬している*3ように思われるが、一方で国土交通省で検討されているのは「地域内の集落機能の再配置・再編の可能性」だという。「地域」という語でどのような空間的な規模を想定しているのかは判然としないが、少なくとも内部に複数の集落を包含するものであるのは文脈上*4明らかだ。
国土交通省で検討されているような策を是とするか非とするかはさておき、少なくとも個々の集落の責任を問うような話の流れになるのは変ではないか。どうしてもというなら、集落の再編を怠ってきた「地域」に対して責任を問うことになるだろうが、果たして「地域」にそこまでのまとまりがあるのかどうかは疑問だ。

*1:冷静な議論を阻害するバイアスくらいにはなっているかもしれないが。

*2:時代背景が異なるので応用できないかもしれないが。

*3:平たくいえば「擬人化」。

*4:高齢化と人口減少が進んだ集落において、当該集落の自己責任のもとでいかなる内部秩序の改変を試行しても集落のサイズが変わるわけではないから、そのような「再編」をいわゆる「限界集落」問題への解決策として提示することは考えにくい。