表記の統一/不統一

これを読んで、あるミステリを思い出した。
そのミステリには全く瓜二つの二人の少女が登場するが、彼女たちは同時に視点人物の前に姿を現すことがないため、視点人物は一人の少女がいるだけだと誤認している。だが、注意深い読者なら、少女が視点人物を呼ぶ呼称の表記が二通りあることに気づくようになっている。この説明で何のことかわからないと思うが、その呼称そのものをここで示すと、ここで言及しているミステリのタイトルがばれてしまうので、かわりに別の呼称で説明しておこう。
視点人物の名前を仮に「魔王」とすると、少女Aがその人物を呼ぶとき「まおう」と表記される。一方、少女Bの場合は「まおー」と表記される。言うまでもなく「まおう」も「まおー」も同じ発音だから、少女AとBの魔王の呼称そのものに違いがあるのではなくて、それを文字に起こした表記のみが違っている。この小説の終盤ではAとBのうち片方が死に、もう片方が生き残るのだが、どちらが死んで、どちらが生き残ったのかを隠すため、最後のほうでは視点人物の呼称の表記が「魔王」になっている。非常に技巧的な小説だ。
さて、このミステリの場合には、表記は不統一なのだろうか? それとも統一されているのだろうか? 同じ名前が3通りに表記されているのだから不統一だ、と考えることもできるだろうが、発話者及び発話の文脈に応じて表記はそれぞれ一通りに決まっている*1のだから徹頭徹尾統一されているとも言えるだろう。
「表記の不統一」とは「同じ『ことば』が別の仕方で表記されているということ」だが、「ことば」の同一性基準次第では、表記が統一されているとも不統一であるとも評価可能だ。このことは、表記の統一の問題を論じる際に覚えておいて損はない、と思う。
最後に最も極端な2つの同一性基準*2を紹介しておこう。

  • すべての「ことば」は文章内での位置が異なるため別物であり、ひとつの文章に同じ「ことば」が複数回用いられることはない。よって、表記の不統一という事態は起こりえない。
  • すべての「ことば」はその指示対象や意味、機能如何にかかわらず、等しく「ことば」であり、同じものである。同一の表記の繰り返しだけで成り立つ文章表現などというものは通常考えにくい*3ので、ほとんどすべての文章はそこに表記が統一されていないことになる。

*1:ただし、初刊本では不幸なことに、校正ミスで一箇所だけ表記に揺れが生じていた。

*2:もちろん、これらの同一性基準は常識的には受け入れがたいものであり、表記の統一にかかわる問題を論じる際に特に検討する必要もない。

*3:例外として「子子子子子子子子子子子子」というのがある。これは「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」と読む。