データは独り歩きする
giolum ライトノベル 参加者として嬉しいですが、ラノサイ杯は作品の優劣を決めるものではないので「1位」を強調されるとちょっと違和感があります。ラノサイ杯自体は「おすすめ」企画として続けて欲しいなー、平和さん。
まさにその通りで、企画趣旨にもその辺は明記しているんですよね。
ランク付けが目的になってしまうような本末転倒なことにならないよう、
今後も自戒しつつ運営していければと思います。
なるほど、確かに
本企画は結果表示について、順位付けの形をとってはおりますが、これは各作品の優劣を決定付けるものではありません
普段からライトノベルを読んでいる方々に、それぞれのお勧めを教えてもらう企画です。結果として、まだ見ぬ良書に出会えた人がいれば幸いです。
と明記*1されている。しかしながら、結果表示について順位付けの形をとっている以上、あたかもランク付けが目的であるかのような仕方で利用するケースが出てくるのは仕方がない。これは運営者がいかに自戒しようが避けようがない。
この件は全国学力テストに似ているなあ、とふと思った。
- 学力や学習環境等の状況をきめ細かく把握し、教育施策や指導の改善につなげるための調査であり、序列化や過度の競争をあおるものではない
データは独り歩きする。数的処理されたデータならなおさらだ。
余談
当サイトはこれまでラノサイ杯には一度も参加したことがなく、今後も参加する予定はないが、それはラノベの序列化への反発によるものではない。単に、読書量が少なく、評価に自信がないため自己規制しているだけだ。別に各作品の優劣を決定付けること自体は差し支えないと考えている。誤解のないよう、念のため書き添えておきます。
追記(2008/01/23)
別段、識者が広い見識を元に良作を選出するような「文学賞」じゃないんだから自分が読んだ中から押したいものを並べればいいだけじゃないのかな。
あ、それやってます。
「読書量が少なく、評価に自信がないため自己規制しているだけ」というのは、実は半分嘘です。というのは、(毎月2桁のラノベを読んでいる人に比べれば)読書量が少なく、(さまざまなラノベを幅広く読み込んで評価軸を確立した人に比べれば)評価に自信がないというのは本当ですが、ラノサイ杯に参加しない本当の理由は、集計方法が必ずしも各参加者の支持の傾向を反映したものになっていないのではないかという疑義*2があるためです。とはいえ、これは個人的信条に基づくものが大きいので、ラノサイ杯運営スタッフ及び参加者の方々を非難する意図はなく、上の「余談」では、わざとピントのずれたことを書きました。すみません。
ところで、
ど素人たちの独断と偏見で並べられたのを「ネタとして集計してみた」だけ、という状況があるならば ランク付けが目的 という用法をナンセンス*3にしてしまえるわけですから。
いくら「ネタとして集計してみた」だけのデータであっても、一旦世に出たものは外見上それなりにもっともらしいものになります。ベン・トーの帯を見ただけの人に「ラノサイ杯1位」というのがナンセンスだということを理解せよというのは酷でしょうし、「信じる方がバカ」で済むことではないと思います。情報の受け手のリテラシーの向上は大切なことですが、受け手のリテラシーに期待するばかりではなく、情報の送り手側にも節度が必要でしょう。
少し力点は違いますが、狩田氏の
嬉しそうなところには悪いけど、今はもうそれを「おめでとう」とはいいがたい時代になってしまってるんだよなー。
【略】
ちいさなネットの隅っこで一部のファンが何かやっている、という時代はとっくに終っていて、小さな雑誌くらいの影響力はある程度条件がそろえば誰だって行使できる。ラノサイ杯程度の実績があるイベントならばなおさら。
というコメントにも、似た問題意識が感じられます。
また、最初にぎをらむ氏に指摘を受けた段階で
ランク付けが目的になってしまうような本末転倒なことにならないよう、
今後も自戒しつつ運営していければと思います。
と書いていることから、平和氏ご自身が認識している事柄だということも明らかです。
本文では「運営者がいかに自戒しようが避けようがない」とだけ書きましたが、ではどうしたらいいのか、という具体的な策は思いつきません。ラノサイ杯そのものを中止するようではそれこそ本末転倒でしょう。企画趣旨を徹底し、ランキングの独り歩きをいかにして防ぐかが、今後のラノサイ杯の大きな課題のひとつだと言えるでしょう。
ライトノベル読んでる人もライトノベルと強弁すれば言えないこともないものしか読んでない人も、独断と偏見でもってどんどんラノサイ杯に参加すればいいと思う。
結果に意味はないけれども、参加することには意義あるわけだしね。
この理想が掛け値なしに実現されて、誰もが余計な「権威」を気にせずに気楽にラノサイ杯に参加できる日が再びやってくることを心より望みます。参加者ではない人間が言うのはおかしいかもしれませんが。