党派的な人には是々非々がわからない

まえがき

「党派的な人」という言い回しはどうもぎこちない。もっとストレートで適切な言い方がないかと考えてみたが思いつかなかった。ごめんなさい。

基本パターン

A氏の主張をB氏が受け入れ、同意したとき、党派的な人は、B氏はA氏の味方だと考える。A氏の主張内容がB氏にとってもっともだったから同意したのだ、とは考えない。
A氏の主張をB氏が拒否したり批判したりしたとき、党派的な人は、B氏はA氏の敵だと考える。A氏の主張内容がB氏にとって満足できるものではなかったから、とか、B氏がA氏の論証の欠陥を発見したから、とは考えない。

複雑なケース

あるときA氏の主張に同意したB氏が、別のときA氏の別の主張に異議を唱えたとき、党派的な人はB氏はA氏の味方から敵に回ったと考える。あるいは、見限ったとか裏切ったと考えることもある。逆の場合だと、B氏がA氏にすり寄ったとか日和ったと考える。それぞれの場で全く別の話題についてB氏が個別に判断しているのだとは考えない。
A氏の複数の主張に対してB氏が同意したり同意しなかったりする事例が観測され、同意/不同意の順序・回数等に明確なパターンが見出せないとき、党派的な人は、B氏はA氏の敵か味方かわからないコウモリのような奴だ、と考える。A氏がB氏の態度を是認しているようにみえるとき、党派的な人は、A氏はコウモリを撃つことができない腰抜けだと考える。

よく訓練された党派的な人

よく訓練された党派的な人は、主張は、その主張を支える根拠によって妥当であったり不当であったりするという、論理的なものの考え方をいちおうは理解している。ただし、それは建前のきれい事であって、生身の人間が論理に基づき物事を吟味検討しているとは考えない。
よく訓練された党派的な人は、必要があれば、説得力のある議論を支持し、説得力のない議論を退けることができる。しかし、自分の利害に反する場合には、説得力のある議論を無視し、説得力のない議論を平気で受け入れる。
よく訓練された党派的な人は、人間の心理の表層と深層を峻別する。論理はうわべに過ぎず、本音では「敵か? 味方か?」が原則となっているのだと考える。自分がそうであるばかりではなく、世の中のすべての人がそうであると考える。ただし、よく訓練されているから、自分が味方だと思う人の前以外ではその見解を表明することは滅多にない。

党派的な人を見抜くのは難しい

あまり訓練されていない党派的な人は、しばしば判断を誤る。彼または彼女の物差しには「敵」「味方」のふたつの目盛りしかないため、複雑なケースについていけないためだ。その状況を観察すれば、党派的な人をそうでない人から区別するのたやすい。
しかし、よく訓練された党派的な人の場合には、ことは非常に厄介だ。彼または彼女は、事情に応じて柔軟に自分の物差しを伸び縮みさせる嗅覚をもっているため、あたかも本当に論理的に考えて判断しているかのように振る舞うことができるからだ。
よく訓練された党派的な人は、政治家やマスコミ関係者などの間にかなり多く含まれると思われるが、実際のところそれらの人々のうちのどれくらいの比率を占めるのかは不明だ。また、真理探究の場であるアカデミズムの世界や、正義の実現を理想とする法曹界などにも、残念ながら、よく訓練された党派的な人が含まれる。

まとめ

単に党派的な人は滑稽な道化に過ぎないが、よく訓練された党派的な人は時には有害である。我々は、よく訓練された党派的な人の正体を暴き、自分にとって敵か味方かをよく判断して行動できるよう、ふだんから心がけておかなくてはならない。

あとがき

本文に書いたことをあまりまじめに受け止めないでください。
「党派的な人/そうでない人」という図式的な二分法自体が「敵/味方」と共通する難点を含んでいるので、真に受けると酷い目に遭います。