ようやく事件が起きた!

昨日、「ドキドキワクワク感が全然そそられない」とか「『別にどうでもいいじゃないか』と思ってしまう」と、否定的なことを書いたけれど、なぜそういう印象を受けたのかを考えてみた。
うみねこ」がミステリかどうかはまだわからないけれど、少なくとも謎が生み出すサスペンスによって読者/プレイヤーを引っ張っていくタイプの作品であることは確かだろう。ところが、「うみねこ」の叙述形式だと、語られた事柄がどの程度信用できるのかという値踏みが非常に難しい。これは、基本的に戦人の視点で「俺」という一人称を使っていながら、時には戦人のいない場面を平然と三人称で叙述し、時には戦人のことすら彼の名前で指し示すような融通無碍な*1叙述スタイルをとっているからだ。そうすると、足場がぐらついているから、まともに推理する気にもならないし、推理する気にならないということは、推理に基づく緊張感を味わうこともできない。
もちろん、推理を抜きにしても「この先どうなっていくのだろう?」という漠然とした関心が全くないわけではないが、その関心で読み続ける/プレイしつづけるには、あまりにもテンポが鈍いように思う。もともと、紙の本を読むときでもあまり速読はできないのだが、画面上の文字列を読むときにはさらにスピードが遅くなりリズムに乗れない、という事情もあるのだろうけれど。でも、飛ばし読みができないという癖(?)を矯正することもできないから、仕方がない。
これを「うみねこ」そのものに対する批判ないし悪口だと受け止める人もるかもしれないが、決してそういう意図ではない。面白がっている人がごまんといるのだから、そのような人にとって面白い作品なのだということは明らかだ。ただ、謎物語に対する自分のスタンスや文章を読むときのスタイルに「うみねこ」が合わない、ということを述べているだけだ。
とはいえ、「うみねこ」そのものに批判すべき点が全くないわけではない。ついさっき、「これはひどい!」と思った箇所があったので、抜き書きしてみた。

あれだけ昨夜、盛大に騒いだのだから、誰も起きられるわけもない。
俺、譲治の兄貴、朱志香の3人はいとこ部屋のベッドで高いびきだった。

だが、それに加わらず、真っ先に就寝していた真理亞は、きっちりさっぱり目を覚ます。

これは、一画面に表示された文章だ。この一つ前の画面は全然別の場面で、場面転換とともにいきなりこんなテキストが表示されて面食らった。
謎解きのためのデータがどうとか、そんなレベルではない。勘弁してよ、もぅ。

*1:というのはもちろん婉曲表現です。