Peace系

涼宮ハルヒで学ぶ南京大虐殺を読んでいたら、ジョン・スミスジョン・ラーベという人の名前が出てきた。

「その方は知っています。確か、熱心なナチス党員でしたね。」

「そう。ナチスだからかは知らないが、日記には中国人差別みたいなことも書いてある。
ただ、南京大虐殺以来、大の日本嫌いになり、ヒトラーが日本と同盟を結ぶことに強硬に反対したんだそうだ。」

全然知らない人だったので、ウィキペディアで調べてみた。

ハンブルクに生まれる。商社での修業ののちアフリカにわたって数年を過ごし、1908年に中国に移り、1910年からジーメンス社の中国支社で勤務。1937年、日本軍による南京攻略戦の際に、他の10数人の外国人と共同で組織した南京安全区国際委員会の委員長となって、中国民間人を保護する。そのほか自分の所有する土地にハーケンクロイツ旗を掲げ、民間人を日本軍の爆撃から守ろうとした(602人が避難してきたという)。南京陥落後は、非人道的行為の防止に尽力する。

1938年2月28日に南京を去りドイツに帰国。ベルリンなどで日本軍の残虐行為についてのフィルム上映・写真の展示をおこなった他、ヒトラーに上申書を送付し、日本軍による非人道的行為を止めさせるよう働きかけることを提言したが、直後にゲシュタポによって逮捕された。ジーメンス社の介入によってすぐに釈放されるが、フィルムを没収されると共に日本軍の行為については緘口令を敷かれた。その後アフガニスタンでの一時的な勤務の後、終戦までジーメンス社のベルリン本社で勤務した。

戦後、ナチス党員(南京では党副支部長を自称していた)であったことを理由にソ連軍とイギリス軍に相次いで逮捕されるが、中国での人道的行為を考慮され、非ナチ化の審査を受けた後釈放された。中華民国政府から、少額の年金を支給されていたが、戦中・戦後の混乱の影響で貧しい生活を余儀なくされることになり、長らく糖尿病に苦しんだ末、1950年に脳卒中のため死去。

ついでに、この記事のノートを見ると、そこにやたらと「peace系」という言葉が出てきていて、「何これ?」と思ってさらに調べてみた。

ふと魔が差して「ライトノベルPeace系賞」という企画を思いついた*1が、実行しようとするとアカウントを多数取得する必要があるので難しそうだ。

*1:元ネタはここの【ライトノベル平和賞】だが、もちろん元記事の趣旨とは全く何の関係もない。