統計なき苫小牧の餃子

記事を最初から最後まで読んでも、なぜ苫小牧で餃子なのか、という肝腎のところが全くわからなかった。「苫小牧は餃子の○○○が日本一○○だ」というようなデータがあればいいのだけど、そのようなものがなければ、物語性に欠けるので地域活性化に結びつけるのは難しいのではないか。
考えてみれば、餃子というのは統計と相性がいい食べ物だ。いや、相性がいいというより、統計に頼らなければ地域性が主張しにくい食べ物というべきか。
たとえば、加古川かつめしや熊本の太平燕などはオンリーワンだから、地域性を強烈にアピールできる。また、ラーメンのように日本中どこにでもある料理でも「地名+ラーメン」という形で地域色を出すことができる。喜多方ラーメン長浜ラーメンの違いは誰だって食べればわかる。
だが、餃子はどうか。宇都宮の餃子と浜松の餃子を食べ比べて、どこがどう違うのかはっきりと認識している人などほとんどいないだろう。そこで統計に頼ることになる。宇都宮と浜松の熾烈な争いについては、前に餃子と統計、あるいは宇都宮市と浜松市の仁義なき戦いにまとめたので繰り返さないが、数的データによって地域の独自性を根拠づけようとする涙ぐましい努力は、他の食べ物ではあまり見られないものだ。
それに対して、苫小牧はどうか。北海道におけるカレーラーメン発祥の地と言われながら、カレーラーメンの本家の座を室蘭に奪われ*1、ラーメン店主らがぎょうざ祭りを開くとは何たることか。地元アイドルに応援歌を歌わせればいいというものではない。ご当地グルメの本義をわきまえぬ、腰の据わらぬあやかり商法では地域の未来に活路は拓けぬ。
あれ? なんか口調が変になった。
ええと、要するに、今このタイミングで餃子という食べ物で勝負するのはあまり得策ではないということでして、もしどうしてもやりたいなら、宇都宮にあやかるのではなくて、宇都宮を叩き潰すくらいの闘志と戦略が必要なんではないかな、と思ったわけであります。
苫小牧の餃子は果たして浮上するか埋没するか? 「第2回苫小牧スーダラぎょうざ祭り」が開催されることはあるのか? 興味深く見守ることにしましょう。……明日には忘れてしまいそうだけど。