物語とは非モテの不在なり

昨日書いたサマーウォーズを見て死にたくなっても、映画の半分を見ていないというわけではない - 一本足の蛸へのブクマ経由で、非モテとは物語の不在なり - [セ]日露アナルファック戦争 大セックル帝国皇帝御坐所を知った。
前掲拙文では物語への参画可能性という観点から、非モテには悲劇にせよ喜劇にせよ参画できる物語がないということを指摘した。従って、今回の見出しに掲げたとおり「物語とは非モテの不在なり」ということになるだろう。これはまあ極論であり、非モテが関与する物語が皆無というわけではないのだけれど。
一方、非モテとは物語の不在なりのほうは、非モテというテーマを論じるにあたって、そこに「物語の不在」を見てとる。向きは逆だが同じことを言っているのだと思う。
非モテとは通常、恋愛という場面における「持たざる者」を指す。だが、それは非モテひとつの表れに過ぎないのではないか。「持てる者/持たざる者」の対立には、より根深い何かがあって、それが「物語」というキーワードを通じて見えてくるのではないか。
……というようなことを思いついたのだけど、ここからどのように話を展開すればいいのか、よくわからない。夜も更けてきたので、投げっぱなしでおしまいにする。

おまけ

その昔「眼鏡をかけていない眼鏡っ娘」を巡る神学(?)論争があったことを思い出した。非モテと直接の関係はないけれど、「心の眼鏡」理論の論理構成は、非モテ論にも応用可能かもしれない。誰か代わりに考えて!

追記

「非モテとは物語の不在なり」の元ネタは「地獄とは神の不在なり」だそうだ。

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

以前、この作品集の表題作を取り上げたことがあるが、「地獄とは神の不在なり」も印象深い作品だ。といっても、この本を読んだのはもう5年以上前のことなので、細部はよく覚えていないけれど。
あなたの人生の物語』所収作品はみな良作だが、強いてベストを選ぶなら冒頭の「バビロンの塔」を推したい。SFホラ話の傑作だ。