9.11
また9月11日がやってきた。
この忌まわしい記念日を決して忘れないために、去年の同じ日の記事を再掲する。
確実にこれが貴方たちに話しかけることができる最後の機会であろう。 空軍がラジオ・ポルタレスとラジオ・コルポラシオンの放送塔を爆撃した。 私の言葉は悲痛でも落胆してもいない。 彼らは誓いを欺いた者として道徳的罰にたつだろう:
【略】
チリ万歳!人民万歳!労働者万歳!
これらが私の最後の言葉です、私は、私の犠牲が無駄にならないと確信している。 少なくとも、不実、卑怯、裏切りを罰する道徳的教訓になるだろうと確信している。
マゼランの海風は 草原の嵐こえ
アジェンデと共にゆく 自由と正義に燃え
たたかい起ち上がるこの日 われらの決意固しアンデスのうたごえは 荒地にこだまして
熱き血は誓う 勝利のあしためざし
たたかい進むわがチリよ われらのゆく手照らす■まもれ祖国 自由と正義
■まもれ祖国 自由と正義チリ・クーデター(スペイン語: Golpe de Estado Chileno)とは、1973年9月11日、チリで発生したクーデターの事。
サルバドール・アジェンデ博士を指導者とする社会主義政党の統一戦線である人民連合(Unidad Popular)は1970年自由選挙により政権を獲得した。しかし、反発した富裕層や軍に(そしてアメリカに)支援された反政府勢力による暗殺事件などが頻発し、遂には1973年陸軍のアウグスト・ピノチェト将軍、空軍のグスタボ・リー将軍らがクーデターを起こした。首都サンティアゴは瞬く間に制圧され、僅かな兵と共にモネダ宮殿に篭城したアジェンデ大統領は最後のラジオ演説を行った後、銃撃の末に殺された(後にピノチェトは「アジェンデは自殺した」と言っているが、実際にはモネダ宮ごとダイナマイトで爆破されたため、誰も遺体を確認できていない。モネダ宮に籠城した銃撃戦のもとでのアジェンデ最後の演説では、徹底的に戦う姿勢が示されており、今日では自殺説は説得力を失っている)。
以後、軍事政府評議会による独裁政治が始まり、芸術家や労働組合指導者、学生など左翼と見られた人物の多くが監禁、拷問、殺害された。