この世には140文字で語れない話題もある

Togetter - 「人が人を殺しては行けない理由」*1はてなブックマーク - Togetter - 「人が人を殺しては行けない理由」を読んで、ふと遠い昔のことを思い出した。

おお、4年以上も前の記事だ。
以下、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いについての私見を再掲する。文中の註釈はすべて原註だ。どうでもいいことだが。

殺人は「してはいけないこと」のカテゴリーに属する一つの事例だが、同時にこのカテゴリーを成り立たせる根拠でもある。極端な言い方をすれば「殺人≒してはいけないこと」だ。

たとえば、強姦のことを「魂の殺人」などという比喩で表現することがある*2が、これは殺人が「してはいけないこと」の典型であることを踏まえたレトリックだ。

また、死刑制度の是非を議論するときに廃止論者かしばしば「死刑とはつまるところ国家による殺人である。従って死刑はしてはいけない」と主張するのも、殺人の禁止があらゆる倫理的・宗教的・法的規範のうちで最も根源的なものの一つであるという了解に基づく。*3

殺人とは、ある行為が「してはいけないこと」に属するかどうかを判定するときの規準の一つである。この規準は絶対ではない*4し、これ以外にもいくつかの規準がある*5と考えられる。しかし、殺人を一旦「してはいけないこと」のカテゴリーから取り出したうえで、他の規準と照らし合わせてみて殺人を再度そのカテゴリーに含めることができるのかどうかという思考実験を行うには、殺人は「してはいけないこと」と密接に絡みすぎている。

要するに、現にわれわれが了解している「してはいけないこと」のカテゴリーを前提にする限り、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いは、これ以上の根拠づけができない。そして、現にわれわれが了解している「してはいけないこと」のカテゴリーを現にわれわれが了解しているということは、われわれの生活に関する端的な事実であり、それに対して疑問を呈するのは困難だ。その困難に挑んでさらに問いを続けるとすれば「なぜ、われわれの規範において『してはいけないこと』の典型が殺人であるのか」と問うことは可能かもしれないが、そのような問いにはあまり興味がないので、これ以上は続けない。

あまり定見といったものを持たずに、その時々の気分でふらふら生きている身だが、この件については今でも意見は変わっていないし、これ以上何も付け加えるべきことはない。ただ、今書き直すなら、少し文体は違ってくるのではないかとは思う。
この文章を読み返してみて、「やっぱりこの話題はTwitterでは無理だよなぁ」と改めて思った。

*1:「行けない」という書くのはどうかと思うが単なる誤変換だと思うので深くは突っ込まない。

*2:この比喩をつきつめると強姦事件の被害者を「生ける屍」扱いしかねないのであまり適切ではないと思うが、今はその点は問題にしない。

*3:逆に死刑存続論者は「死刑は殺人ではない」と主張するか、「死刑は殺人の一種ではあるが、例外的に『してもよい殺人』である」と主張するか、どちらかを選択することになるだろう。理屈の上では「殺人は一般にしてもよい行為である。そして死刑は殺人である。よって死刑はしてもよい」という論法もあり得るが、実際にそのような論法で死刑廃止論者の主張に抗した例を知らない。

*4:従って「してもよい殺人があるのかどうか」という議論が成立する余地がある。

*5:たとえば、他人の財産の侵害にあたるかどうかということも「してはいけないこと」というカテゴリーにとって重要な規準となる。