人は死ねば土に還る

日本に住むイスラム教徒の間で墓地不足が深刻だ。土葬のため、地域住民から理解を得られず、行政の許可がなかなか下りない。土葬に嫌悪感を抱く人が増えたのと、2001年の9・11テロの影響でイスラム教徒への偏見が強まったためという。外国人が約10万人、日本人が約1万人と推計される国内イスラム教徒の多くが日本で永眠の地を求めている。

【略】

近くの女性(87)は「宗教のことはよくわからないけど土葬が嫌だ」という。一方で、建設予定地の近くに先祖の墓がある男性(62)は「日本人も外国に移住し、墓を作っている人はたくさんいる。反対はできない」と話す。

墓は予想以上の早さで増え、墓地は4800平方メートルになった。古屋さんは最近、「土葬の盛り土を見るのが怖い」「農作業の後、近くを通りたくない」という声を聞くようになった。埋葬から数年間は土が徐々に沈むため、数回にわたり土を盛る。その様子を気味悪がる声も上がっているという。

〈墓地の建設と土葬〉土葬を含めた墓地の建設には知事の許可が必要で、市町村長に権限が移譲されている場合が多い。土葬は墓地埋葬法では禁止されていないが、東京都や大阪府は条例で公衆衛生などを理由にほぼ全域で禁止している。禁止していない自治体でも、墓地の狭さや美観などを理由に認めないことがある。

数日前にこの記事を読んだのだが、土葬に対する抵抗感のようなものが住民の間に広くあって、それが当たり前のこととして受け入れられているということに、ちょっと驚きを感じた。
土葬というのは、要するに腐敗する有機物を地中で処分する方法であり、しかるべき場所で適切に行えば何の危険もないし、特に不安を感じるようなことでもないのだが、習慣というのは恐ろしいもので、合理的に考えれば何でもないことに対して嫌悪を抱き忌避するように人を強いる。

ブクマコメントを見ると、土葬をごく普通のこととして経験した人が何人か冷静なコメントを寄せているのでほっとしたが、一方で、土葬には広い用地が必要だと言っている人もいるのに首をかしげた。墓地の広さは要するにどれだけ大きな墓石*1を据えるかによるわけで、土葬か火葬かはあまり関係ないのではないか。
ここでちょっと自分の話になる。
小学一年生のときに亡くなった父方の祖母は当然のごとく土葬された。母方の祖父は高校生のときに亡くなったが、こちらは火葬だった。生まれて初めて火葬場に行って、言いようのない恐怖を感じた。人は死ねば土に還るのが当たり前なのに、まるで燃えるゴミを焼却するように扱うのはなんとおぞましく残酷なことか! 今考えれば青臭く愚かなことだった。
その後、父方の祖父は土葬され、母方の祖母は火葬された。今生きている両親はまだ土葬も火葬もされていないが、死んだらどうなるか訊いてみると「まあ、火葬だろうな」と答えた。「もうこの辺りには墓穴を掘る人手がないから」
田舎では葬式は共同体の行事で、近所の人々が総動員されるのだが、高齢化と人口流出が進み集落共同体が衰退し、もはや棺を埋める穴を掘ることがでる若手がほとんど残されていないのだった。
では、かつて祖父母が葬られた墓は今どうなっているのか? 今日、10数年ぶりくらいに、家から歩いて5分くらいのところにある墓を訪れた。

なんと、すっかりただの荒地と化してしまっていた。
近所で最後に土葬が行われたのは10年くらい前のことで、それ以降、穴を掘ったり埋めたりする作業が全く行われなくなっていたために、言われてみなければ墓地だとはわからない状況になってしまっていた。子供の頃ではこうじゃなかった。あちこちに、棺が腐って陥没した穴がいくつもあいていた。穴に落ちると危険だから道から足を踏み外さないように、と注意されたものだ。
なお、ここまで読んで「新規に土葬が行われなくなっても、墓参りに来る人はいるだろうに、どうしてそんなに荒れてしまうのだろう?」と訝しがる人もいるかもしれないが、実はこの墓に参る人はいない。なぜなら、ここは埋め墓*2で、参り墓は別にあるからだ。
このような墓のつくり方を両墓制という。

両墓制とは遺体を埋葬する墓地と詣いるための墓地を一つずつ作る葬制のことである。つまり一個人に対し二つの墓を作ることから両墓制と呼ばれる。遺体の埋葬墓地のことを埋め墓(葬地)、墓参のための墓地を詣り墓(まいりはか、祭地)と言う。基本的に一般民衆の墓を対象にし、その成立、展開は近世期以降である。両墓制は土葬を基本とし、遺体処理の方法がほとんど火葬に切り替わった現在では、すでに行われなくなった習俗と言ってよい。しかし、両墓制墓地自体は現在も各地に残っている。 葬送習俗、祭祀習俗とあわせて各地に様々な特色があり、特に近畿地方に濃厚に存在している。その特徴的な墓制は、大正期より複数の報告がなされたが、民俗学者柳田国男昭和4年(1929年)に「墓制の沿革に就いて」(『人類学雑誌』500号)で両墓制を取り上げて以来、両墓制の諸問題は民俗学の担当分野となった。 ただ、柳田はこの習俗に関しては「葬地」と「祭地」といった呼び方をし、「両墓制」という言葉自体は柳田の下で山村調査にあたった民俗学者の大間知篤三が使い始めた語である。

ウィキペディアでは両墓制の発生要因は不明だとしているが、少なくともこのやり方には埋め墓の用地を節約できるという利点がある。人を埋葬した直上に墓石を立てていけば、同じ場所に別の人を埋葬することはできないが、両墓制なら、一度埋葬した場所でも何十年か経てば再利用できる。人は土に還り、次の人をやさしく包み込むのである。

追記

上の文章を読み直してみると、ちょっとおかしなところがある。墓地の広さは土葬か火葬かに関係ないと書いておきながら、後のほうで両墓制の利点として用地が節約できるとも書いている。最初、文章を書き始めたときには「自分にとってなじみのある土葬=両墓制」を念頭に置きながら火葬と比較していたのだが、そのうちに両墓制の説明をしておかなくてはならないことに気づいたため、変な具合に論旨が捻じ曲がってしまったのだ。
あまり先のことを考えずに文章を書くとこうなるという好例*3として、そのまま残しておく。

*1:またはそれに類するものであれば何でもいいのだけど。

*2:ちなみに、この辺りでは人を埋葬することを「いける」と言うため、埋め墓のことを「いけ墓」と呼ぶ。この場合の「いける」は生け花をいけるのと同じように「穴のあいたところにものを入れる」という意味で、それをもって一連の行為全体を代表させているのだ。それに対して「埋める」は、墓穴に土をかぶせるという作業のみを表すために用い、埋葬全体をあらわさない。方言も考えてみれば面白いものだ。

*3:もちろん「好ましい例」という意味ではない。