「餌付け」と「餌付け行為」

自殺というのは一つの行為だが、「自殺」と「自殺行為」では言葉の意味が違うので、ふつう両者を混用することはない。
同様に「餌付け」と「餌付け行為」も使い分けたほうがいいのかもしれない……というようなことを自然道傳説 主観的考察、「餌付け」と「給餌」と・・・【暫定版】を読みながら考えた。
「これは餌付けではない」という餌付け - 一本足の蛸で書いたことは間違っていないと今でも考えている*1が、日本熊森協会のやっていることを「餌付け行為」として整理したほうが、より紛れが少なくなるかもしれない。
とはいえ、野生動物保護管理の現場では、「無意識の餌付け」「意図しない餌付け」というような表現がごくふつうに使われていて、たいていはそれで何の混乱も生じていないのに、熊森批判の文脈でだけ「餌付け」と「餌付け行為」を峻別するというのも、なかなかしんどい話だとは思う。

*1:これは熊森批判と餌付け容認の風潮 - 一本足の蛸の註釈でも強調しておいた。