新年早々本を読む気が起こらない

twitterのほうで元旦に書いたのだが、今年の読書目標は次の通り。

  • 海外ミステリを5冊以上読む。
  • 国内ミステリを10冊以上読む。
  • ライトノベルを3冊読む。

最後のライトノベルの3冊というのは、今年出る予定の『狼と香辛料』最終巻と『涼宮ハルヒの驚愕』上下巻*1だが、『狼と香辛料』はともかく『涼宮ハルヒの驚愕』はこれまで何度も出る出ると言われ続けてきた作品なので、今年もどうだかわからない。出なかったら今年読むラノベは1冊きりということになる。何かの弾みで思わずラノベに手を伸ばすことはあるかもしれないが、ないかもしれない。
上ふたつのミステリ関係はかなり高いハードルだと思っている。たとえば、去年読んだ海外ミステリは2冊きり*2だった。

フレンチ警部と毒蛇の謎 (創元推理文庫)

フレンチ警部と毒蛇の謎 (創元推理文庫)

機械探偵クリク・ロボット〔ハヤカワ・ミステリ1837〕 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

機械探偵クリク・ロボット〔ハヤカワ・ミステリ1837〕 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

国内ミステリはそれよりはたくさん読んだと思う。読んだ本はすべて手帳に記録をつけているので、それを見れば何冊読んだかがわかるが、いちいち調べるのも面倒だ。まあ、2桁には達していなかっただろうと思う。
そういうわけで、今年は海外5冊、国内10冊という目標を立てたわけだが、去年に比べて読書意欲を奮い起こさせるような要因があるわけでもないので、達成は困難だと思う。もう諦めようか。今日諦めたら三日坊主だ。
思い起こせば、純粋に小説の面白さに惹かれて次から次へと小説を読んでいたのは、中学生までだったような気がする。当時は身近に小説読みがいなかったので、ただ自分の興味と感性のみに頼って孤独な読書に邁進していた。
高校に進学して状況が一変した。廃校寸前の田舎の中学校*3では考えられないほど多種多様な趣味の生徒がいて、中には小説を読む者も相当数存在した。ミステリよりもSF、そしてSFよりも「ファンタジー*4が好まれていたが、赤川次郎を読む高校生ならいくらでもいたし、知り合いにエラリー・クイーンファンも1人いた*5
その頃から、読書は単なる個人作業ではなくなり、他人とのコミュニケーションツールになった。
それから悠久の時が流れて、本を通じて知り合った人々の大部分と縁が切れてしまった今、以前のようなペースで本を読むことができなくなってしまった。年始に目標を立てても無駄。好きなように本を選べば、ほとんど実用書*6ばかり。たまに小説に手を伸ばしても、ミステリまでは手が届かない。
本を買う頻度も冊数も減ったけれど、それでも増え続ける未読本の山。これはまあ、他人とのコミュニケーションのために本を読んでいた頃でもそうだったから、今になってどうということではないのだけど、積ん読本を見るにつけて読書意欲がますます失われていくのはどうにかならないものかと思う。
いや、正確にいえば、失われたのは読書意欲というよりは、読書能力のほうではないか。年をとるとポテンツがリビドーについてこなくなる、という状況に近いものがあるのではないかとも思う。
なんとなく思いついたことをつらつらと書いていたら、妙な流れになってきた。毎度のことながら事前に文章の構成を考えて書いているわけではないので、全体として何が言いたいのか、誰に向かっているのかがさっぱりわからない文章になっているが、ご勘弁を。

*1:という情報をどこかで見たのだが、これって信憑性はどの程度のものなのだろうか?

*2:もしかしたらほかに読んだ本を忘れているかもしれない。なんかほかに読んだかなぁ。

*3:その後、母校は休校した。廃校手続きがとられたかどうかは知らないが、もはやそこに通学する生徒はいない。

*4:当時の高校生が「ファンタジー」といえば、富士見ファンタジア文庫を始めとするジュブナイル小説を指した。つまり今のライトノベルの前身にあたる。では、旧来のファンタジーのことはどう読んでいたかというと、たいていはSFの中に含めていたように思う。

*5:でも、校内新聞に「天城一の情報求む」と書いたのに梨の礫だったのは悲しかった。

*6:ただし、自分の現在の仕事とは全く関係のない分野の実用書を読むことにしている。趣味の読書にまで仕事を持ち込むのは息が詰まるから。