愚行権についての愚考

国とか政府がすべきことは、愚行を規制して、愚行権を行使できなくことではなくて、愚行の周知だと思っているのです。「肉の生食をするな」ではなくて、「肉の生食は危ないよ」ではないかと。保護されるべきは、愚行と知っていて愚行をする人ではなく、愚行と知らずに、愚行を行う人。愚行を愚行をわからない人。愚行だとわかっていて、それでも愚行をする人は、文字通り愚か者なのだから放っておけばいい。はい、私です。放っておいてください。

肉の生食で言えば、これは消費者だけではなく、お店側も含めて周知する必要はあります。肉の生食は、本来危ないよ。リスクがあるよと。これは言い続けなければいかんこと。しかしながら、それを承知の上でトリミングなどの加工を行い、安全性を高めた上で客に提供するのまで規制するのは困るし、それを食べることができない状況にされても困るわけです。ノーリスクには物理的にできないでしょ。

では、トリミングなどの加工をせず、安全性を高めずに客に生肉を提供するような店の愚行は保護すべきなのかどうか。このたびの事件では、トリミングをせずに客に生肉を出すのは愚行だと知らずにそれを行ったのではなく、知った上で「もったいないから」とトリミングを省略したと報道されているが、もしそれが正しければ「愚行だとわかっていて、それでも愚行をする人」の範疇に属するのではないか。いや、そもそも店は「人」ではないから愚行権の主体にはなりえないとみるべきか。では、個人営業の小規模な店、たとえば屋台のような場合はどうなるのか?
言うまでもなく、生肉を食う客の愚行のリスクは、それを提供する店の愚行の程度によって大きく左右される。論点を「消費者の愚行権」に絞り込んで議論するのは難しいのではないかと愚考する次第。