豆の葉と太陽

かつて柳田国男は「豆の葉と太陽」で鉄道旅行の意義について論じ、「日本はつまり風景のいたって小味な国で、この間を走っていると知らず識らずにも、この国土を愛したくなるのである。旅をある一地に到着するだけの事業にしてしまおうとするのは馬鹿げた損である」と述べた。

もし柳田のように、鉄道の車窓にじっと目を凝らしていれば、浪江や陸前高田という地名を聞くや、反射的に街の風景がありありと脳裏に広がり、その風景が失われてしまったことを具体的に想像することができるだろう。けれども、新幹線本位の旅行は、そうした旅のあり方を決定的に難しくしたのである。

柳田はそんなこと言わない。少なくとも「豆の葉と太陽」では言ってない。これが全文だったhttp://bit.ly/lROeb1 駅前の描写に真逆のニュアンスさえ感じる

県境を越えてから、始めて此峠路の相応に登つて居たことを知つた。新道も可なりの降りで、人家の無い畷(なわて)のやうな路を長く走つた。荒屋の駅に著いて見ると、そこいらの物が何でもかでも新らしい、茶屋の女の顔までがペンキ塗りだ。さうして我々の真澄は此道は通らなかつたのである。それで私は汽車の煙を見ながら、又引返して今度は浄法寺から福岡の方へ出た。

なるほど、この箇所を読むと、鉄道は昔の風景を偲ぶよすがとしてではなく、その破壊者として捉えられているように思われる。「真逆のニュアンス」というのはそのことを指しているのだろう。
だが、原武史が引用しているのは、これとは別のフレーズだ。そのフレーズが「豆の葉と太陽」と題された小文には含まれていないというのは一体どうしたことだろう? 原武史という人物についてはあまりよく知らない*1が、「鉄道の将来を案じる政治学者原武史さん(48)」を案じる。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月などを読むと、地道な実証よりも壮大な構図を描きたがる人なのだろうと想像する。とはいえ、自説の補強のために柳田國男が言っていない言葉を捏造するほどの輩だろうか?
で、あれこれ調べてみると、次の本が見つかった。

豆の葉と太陽 (1941年) (創元選書)

豆の葉と太陽 (1941年) (創元選書)

「豆の葉と太陽」というタイトルの文章があり、『豆の葉と太陽』というタイトルの本があるなら、前者が後者に含まれていると考えるのは自然なことだ*2が、この本は309ページあるそうなので、「豆の葉と太陽」以外の文章も数多く収録されていると考えるべきではないか。そうすると、その中には鉄道旅行の意義について論じた文章があって、「日本はつまり風景のいたって小味な国で、云々」と書かれている可能性もあるのではないかと思う。
戦前の本なので、確認しようと思っても簡単に入手はできないが、大きな図書館なら置いてあるかもしれないので、興味のある方はどうぞ。

*1:以前、『鉄道ひとつばなし (講談社現代新書)』を読んだことはある。また、最近完結した「日本鉄道旅行歴史地図帳」は全12号揃えている。逆に言えば、原武史関係の書籍類はこの程度しか持っていない。

*2:もちろん、世の中には例外があって、ロアルド・ダールの「あなたに似た人」が『あなたに似た人』ではなく『飛行士たちの話』に収録されているというのは有名な話だ。