個体数調整と殺害と単細胞

日本熊森協会「鳥獣の保護を図るための事業を実施するための基本的な指針」(案)に関する意見の募集(パブリックコメント)に対して、思いっきり激しい言葉でツッコミを入れている。でもって、ブクマでは熊森に批判的なコメントが多く寄せられている。
でも、たとえば、

今回の改定内容は、これまで以上に野生鳥獣の保護管理(=ワイルドライフマネジメント=殺害)や個体数調整(=殺害)という名の殺戮を促進拡大するもので、【略】

という箇所を読むと、案外、いまの日本の鳥獣保護管理の現場の事情から考えて、さほど的外れなことを言っているわけではないのではないかという気がしてくる……と書くとあらぬ誤解を受けそうなので、大急ぎで補足しておくが、「保護管理」も「個体数調整」も「殺害」と同義ではない。ただ、保護管理または個体数調整の手段のひとつとして捕殺があるというだけのことだ。
問題は、手段のひとつに過ぎない捕殺が、場合によっては、保護管理ないし個体数調整と限りなく近いものとして捉えられる傾向が見られるということだ。
では、どういう場合にそのような傾向が見られるかというと、物事を単純に捉えがちで、わかりやすさを求め、かつ、短期的な見かけ上の成果に満足して中長期的な影響には無頓着な人や勢力*1、俗な言葉で言い表せば単細胞*2だ。そういう人たちが環境省が提示した基本指針案を読めば、きっと環境省がどんどん捕殺を進めるように促しているのだと思うことだろう。
別に日本熊森協会の中の人が単細胞だと主張しているわけではない。日本熊森協会の中の人は単細胞な人の思考があたかも自分自身の考えであるかのように容易に読み取れるのだろうと思う。
ところで、以前こんな文章を書いたことがある。

「保護管理」という字面をみると、「保護+管理」と分解してみたくなる。野生動物を助けるのが「保護」だとすれば、「管理」は逆に捕殺することだ、と考えてしまいたくなるのだ。実際、特定鳥獣保護管理計画などを読むとき、「生息数管理」などというのは捕殺の婉曲表現だと思って読むと理解しやすい。

以前からこのようなことを考えていたからこそ、件の記事がすんなり腑に落ちたのかもしれない……と書くとあらぬ誤解を受けそうなので、再び大急ぎで補足しておくが、件の記事に全面的に賛同するわけでは決してなく、大きな誤りが含まれている。

今回の改定内容は、これまで以上に野生鳥獣の保護管理(=ワイルドライフマネジメント=殺害)や個体数調整(=殺害)という名の殺戮を促進拡大するもので、人間が野生鳥獣の生息地であった森や自然を大幅に壊してきたことは棚に上げ、哀れにも生きられなくなって人里に出て来た野生鳥獣が引き起こした農業被害ばかりに目くじらを立てるもので、ここまで人間は無責任で自分の利益しか考えられないのか、ここまで動物たちの命を軽んじ残酷になれるのかと信じられない思いです。

先ほどの引用では文の途中でぶった切ったが、省略した箇所を含めて再掲する。人間が野生鳥獣の本来の生息地を破壊したから人里に出てきた、というわかりやすく単純なストーリーで割り切っている点も問題だが、むしろ「農業被害ばかりに目くじらを立てる」という点に異議を申し立てたい。
イノシシについては農業被害ばかりに目くじらを立ててすむ古きよき時代は終わり、人身への直接攻撃が懸念される段階に突入している。アライグマは京都などで貴重な寺社建築を毀損し、文化財保護上の問題となっている。また、シカはもともと農業被害より林業被害のほうが大きかったが、人工林だけでなく天然林の植生にも被害を与えており、近年、高山にじわじと生息域を広げて高山植物へも被害を及ぼしている。カワウの糞害は水辺の自然景観を大いに損ねている。「鳥獣被害=農業被害」という理解はあまりにも安直で、近年の鳥獣問題の動向を捉え損ねていると言わざるをえない。
……まあ、農業被害ばかりに目くじらを立てて他の被害について軽視するのは、何も熊森協会に限ったことではない。地方自治体の鳥獣害対策担当がどの部署にあるのか調べてみればわかるでしょう。

おまけ

以前、物事を単純に捉えがちで、わかりやすさを求め、かつ、短期的な見かけ上の成果に満足して中長期的な影響には無頓着な人に出くわして頭を抱えた*3ことがあり、次のような愚痴を書いた。

世の中には、あちらが立てばこちらが立たず、かといって何もしないわけにもいかないので、だましだましその場を取り繕っていくしかないことがよくあるのだけど、いかなる問題に対しても抜本的な活系を求めたがる人々には、そのような場当たり的な対応がひどく不快なようで、いろいろと非難したり妨害したりすることもある。その結果、ぼちぼち対策をとればそれなりにやり過ごせる程度の危難に対してどうにもこうにも身動きがとれなくなって、結局、誰もが損をしてひどい目に遭ってしまうことにもなるのだけれど、それでもきっと中途半端に妥協するよりは価値のあることだと考えているのだろう。そういう輩に出くわしたときには、あまりまともに相手をせずに適当にやり過ごすほうがいい、と最近気がついた。もちろんそれでは抜本的な解決にはならないのだが、抜本的な解決を求めたがる人々の害悪を完全に一掃するような抜本的な解決はないのだから仕方がない。

*1:具体的に書くと何かと差し障りがあるので控えておく。

*2:このたとえは単細胞生物に対して失礼だろうと思うが、たとえを使わずに真正直に書くのは憚られるので、単細胞生物の皆さんには我慢していただくことにしよう。

*3:あまり具体的には書けないが、都市害鳥問題の「抜本的な解決」として空中からの薬剤撒布を真顔で提案されたときのことだ。